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業務の効率化、これは楽をすることではない。 [社会・生活]

 業務の効率化、無駄を省く、選択と集中。

 企業の中でよく耳にする言葉である。
それを実行することで、企業はより強くなるように聞こえる。しかし、実際はどうか。 確かに業務の効率化によって良い成果がでている企業もあるが、逆のパターンの方がはるかに多い。それはなぜか・・・。
 
 これは物事の捉え方にあると考える。効率化の意味であるが、複雑な仕事を工夫によって合理化し、 作業をはかどらせることが本来の目的であろう。だが、これをはき違えると面倒な仕事を省き、いかに仕事の量を減らせるか。こうした思考回路が働く人がいる。面倒な仕事こそ、実は利益の種があり、また大きな成果を成し遂げるための要素が含まれていることが多い。また、その仕事を省くことで質が大きく低下する可能性もある。
 
 これと似たケースで、資料をA4一枚に簡潔にまとめろという指示がある。これも本来は数十枚くらいの内容を1枚に搾り上げろという主旨であるが、人によっては数十枚どころかたった2,3枚の内容を1枚に圧縮するだけで提出してしまうのもいる。だから内容はやはり希薄であり、実際は10枚しっかり書いてある方がはるかに優れたレポートである。むしろ、読む側が努力すればいいことなのだ。
 
 選択と集中もじつは省く方が難しいが、たいてい楽な方を選んでしまい、結果的に苦労して芽を育てなければならないものを紡ぎ取ってしまう。結局、経営者やリーダーの資質によって、業務の効率化、選択と集中、これらの実行するカタチは天と地ほと違ってくる。 結局、楽しようとするサラリーマン的意識が根底にある限り、うまくはいかない。効率化とは頭脳で汗をかき、決して手を抜くことではないことを自覚しなければならない。
 
 よくある話だが、自分たちの仕事をどんどん省力化させ、気が付いたら外注だらけ。その結果、仕事の進捗が遅くなり、外注費がかさんで競争力も大幅に低下し、そして業績は大幅に悪化。本当の業務効率とは、自分が人よりも少しでも多くの業務をこなし、時間とお金を稼ぐこと。これが本来の姿であろう。
 
 ここで書いたことは極端な事例かもしれないが、似たケースは結構あるのではないか。これは現在、自分の身の回りで起きている事で危機感を感じ、記したものである。 
 
 

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新国立競技場、ゼネコンの総合力を発揮してもらいたい。 [社会・生活]

 新国立競技場の締め切りに、当初案のザハさんが断念した。一緒にやるゼネコンが見つからなかったからと言う理由だ。それはゼネコンにとって、最初に予算が決まるから恐怖だろう。いくら縮小したといえ、ザハさんのデザインへの妥協はなさそうだし、今度は国民の目がしっかり向いているから安易に増額できない。当然と言えば当然。結局、日本を代表する著名な建築家である伊藤豊雄氏、隈研吾氏と大手設計事務所、大手ゼネコンの2グループに絞られた模様だ。
 
 今回はデザインもあるけど、機能とコストが最優先される。 
 一般的な仕事の流れは、「建築家→設計事務所→ゼネコン」というのが本筋であろうが、今回はハイレベルな建築技術といかにコストを抑えるかというノウハウが非常に求められる。ゼネコン抜きでは考えにくい。つまり、先ほどとは逆に「ゼネコン→設計事務所→建築家」という流れが実質ではなかろうか。ゼネコンの構想に対して、設計事務所が図面化し、そして建築家がデザイン的に監修するというパターン。世間的に違和感があるかもしれないが、「ものづくり」としては決して悪くないと考える。
 
 ゼネコンはいつも悪玉に上がっているが、最終的に品質やコストの責任を負わなければならない。特に品質は末端の職人レベルのものづくり感で決まってくる。それを統括するのもゼネコンであり、日本の品質の高さはそうした現場の力によって支えられている。 今回の新国立競技場は技術的にも、地震対策やゼロエミッション、高耐久性、維持管理費がかからないなど様々な課題をクリアしなければならない。デザインで目立つことよりも、こうした本質的な機能で、世界を驚かせるような建築を、ゼネコンは総力を挙げて提案してもらいたい。国民もそれを期待しているのではないか。
  

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災害で思う。地名にはメッセージが込められている。 [社会・生活]

 先週放映されたNHKスペシャル「巨大災害MEGA DISASTER」日本に迫る脅威と大避難、命をつなぐシナリオが、まさに現実になってしまった。

 関東地方を襲った記録的な豪雨は凶暴な濁流になり、 下流地域の堤防を決壊し、あっという間に住宅地を飲み込んだ。記録によると48時間の雨量が日光市今市589mm、鹿沼市480.5mm、栃木市400.5mm、いずれも観測史上最大で、夏場2か月分の雨量と同じというから異常事態である。

 番組の中で気象学者が絶対ありえないことがいつ起きてもおかしくないと話していたが、本当にそうなってしまったのだ。

 今回は地方の田園地帯での被害であったが、都心で起きたらどうなるか。これは想像を絶する光景が目に浮かぶ。特に東京の荒川や隅田川河川の決壊は都心機能を決定的に壊滅させる。特に多くの人が集まる地下街や地下鉄などは完全に水位以下、階段は濁流の流れ道になり、のぼることはまずできない。逃げ場を失った人たちが限られた避難口に殺到しパニック状態になる可能性は極めて高い。もし、自分がその場所にいたらと考えるとゾッとする。

 今回の教訓から、河川の水位が異常に上昇したならば決壊を前提に、すぐに避難警報を出してほしい。まず、地下鉄などの交通はいち早く対策を取り、地下街は全員避難警報を出すべきだろう。多少のパニックは止む負えない。決壊してからでは間に合わないのは、今回の件でよくわかった。

 台風の時期は完全に終わったわけでく、記録的豪雨はこれからも続く可能性はある。油断大敵だ。

 今回の氾濫の源になった鬼怒川と黒川、ともに名前が気になる。家々を倒壊させる川の濁流は 鬼が怒ったようであり、黒く濁っている。もしや先人たちもかつての体験から、この川の恐ろしさを忘れないために名付けたのかもしれない。また、浸水で被害の大きかった鹿沼も水がたまりやすい地域だったこともうかがえる。東京の荒川、隅田川(かつては墨田川)もどことなく鬼怒川、黒川と似ている。何か意味が込められているようだ。

 防災対策も大切だが、やはり普段からの意識、そして恐ろしさを忘れないことが重要である。そうしたメッセージを感じさせる地名が日本各地にある。災害が起きると「なるほど」と思う。日本は昔から災害に向き合っている国であるとつくづく思うところである。


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エンブレムも白紙撤回、個人攻撃でなく社会で責任を。 [社会・生活]

 五輪エンブレムが新国立競技場に続き白紙撤回になった。

 せっかくの盛り上がりが、思わぬところでつまづき、オリンピックを目指す選手たちはどう思うだろう。

 日本という国は高い完成度を求めるわりには、いつもはじめのツメがあまい。今回の件で思い起こすのが理研のSTAP細胞事件。当初、その中心にいた小保方研究員は難病で苦しむ人たちを助けたいという善意の思いで研究に取り組んでいた。たどり着いたのがこの奇跡の細胞、STAP細胞であった。 その成果が国際的権威あるネイチャーに論文が掲載され、一躍脚光を浴びたが、それから数か月で一転、悪質なねつ造、理研の権威を失墜させたと社会全体からバッシングされる事態に陥った。おそらく本人も気づかなかったミス、過ち、そして、それを見抜けなかった理研の組織、この初歩的な間違いが、結果として社会全体を巻き込んだ大騒動を引き起こしてしまったのだ。

 新国立競技場では建築家の安藤忠雄さん、エンブレムのデザインでは佐野さん。社会的に大きくバッシングされ、これまで築いた業績もすべて無になるほど痛めつけられている。

 何かあると「責任をとれ」の大合唱で、その人たちの凋落を楽しむように叫ぶこの社会現象、何とかならないものか。 この2人に責任というよりも、実はもっと初歩の段階に問題があったようにも思える。行政を含めた組織で厳重にチェックできたはずだ。

 また、それよりも失敗が許されない社会がなんとも息苦しい。何度もチャレンジできるアメリカならばどういう展開になったか。きっと閉塞的な日本とは大きく違っていただろう。

  個人攻撃はやめて、社会全体で失敗を受け入れられる、そんな仕組みが必要なのではないだろうか。


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五輪エンブレムの類似性 [社会・生活]

 東京五輪2020年のエンブレムデザインの盗用疑惑が問題になっている。デザイナー佐野氏の作品とベルギーの劇場のロゴだ。

 確かに並べてみるとよく似ているが、制作過程が公表されると偶然性も十分考えられる。ロゴデザインはシンプル性が重要であり、特に「T」の文字をデザインすると、その単純さゆえに同じような作品ができてくる可能性は十分ありうる。ただ、同じデザインの存在を知っていたかどうか。問題はそこにある。

 しかしながら、こうしたことも考えられる。ベルギーのデザイナーがそのロゴを作る前に、もしかしたらほかのデザイナーが同じようなデザインを作っていた可能性もある。さらにそれより以前にも同じようなものを・・・。むしろ、重要なことはどちらのデザインの方が優れているかだ。

  つい最近でもアップルがアイホーンのデザインをサムスンが盗用したという訴訟があった。企業の利益問題がからみ、激しい徹底抗戦があったと記憶するが、現在、普及しているスマホはすべてアップルのデザインに、見た目もコンセプトもほぼ同じ。結局、限られた条件の中では類似してしまうようである。

  佐野氏の疑惑は、その後、様々な商品などで安易なデザインの模倣が指摘され問題になった。これはまずいことであるが、社内デザイナーのモラルの低さ、それを監督する佐野氏の管理責任からくる問題であろう。これと東京五輪エンブレムデザインと結びつけることは、本質的に違うと考える。

 ゼロベースの見直しになった新国立競技場は、多額の工事費だけでなく、デザイン的に非日本的で、個人的に好きになれなかったが、東京五輪エンブレムに対しては伝統的な和とユニバーサル的な感覚もあり、はじめて見たときはさすが、質の高いデザインと素人ながら思った。

 ベルギーのデザイナーは訴訟を起こしているようだが、今後どうするのか。コンペで公募された他のデザインも探せば必ず類似が出てきそうであり、キリがないような気がする。もう一歩、修正を重ね、折り合いをつけてみてはどうだろうか。 

 


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多発する電車人身事故 [社会・生活]

 最近、首都圏の通勤電車では、ほぼ毎日のように人身事故が発生している。そのたびに、大勢の人たちが大混乱に陥り、大事な時間を失っている。人身事故の内容はホームからの転落、不注意な事故もあろうが、ほとんどは自ら命を絶つためのものと思われる。迷惑に対する憤りを感じる一方、「なぜ、自分の命をもっと大切にしないのか。生きたくても生きられない人達が多くいるのに・・・。」と虚しさがいつもこみ上げてくる。

 世界を見渡せば、紛争やテロによる爆撃で住むところを失っている人たち、食料や水が不足し飢えや疫病の恐怖におびえる人たち、普通に生きれることが奇跡であり、命がけで生きている。それに比べれば日本の環境は天国といえよう。

 世界の人を対象にした2015年の幸福度ランキングの中で日本人は158か国中46位。悪くはないが決して良くもない。平均寿命は男女平均世界一、経済力は世界第3位、戦争もなければ、水も食べるものも豊富、そして公衆衛生が最も行き届いた国である。

 ただ、人というのは常に不幸を引き込まれていくものだ。たとえ恵まれた環境の中でも、最悪な人間関係や借金、病気、様々な不幸要因はある。そこから抜け出せない絶望感から生きる望みを失っていく人も多い。中には家庭内での虐待や学校内のいじめなど、人が自ら不幸をつくり出しているケースも年々増えている。幸せな国の中で、多くの不幸が渦巻いているのも事実だ。 


 その人たちの本当の苦しみを理解することはできないが、ただ、生きる望みは捨てないでほしい。生きていれば何かチャンスが訪れ、そこから新しい人生を紡ぎだせる可能性がある。著名人や事業に成功した人たちの中で、人生のどん底から本当の幸運をつかんだという話をよく耳にするものだ。

「生きていく幸せ」は、悩みがなく心が常に満たされていることが条件なのかもしれないが、「生かされている幸せ」、それがどれだけありがたいことなのか、それに気づかねばならない。生かされていることは未来の幸せのチャンスも同時にあるのだ。もっと命を大切に、未来にもっと期待したいしてほしいことを切に願うばかりだ。


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戦後70年、平和への節目 [社会・生活]

 終戦から70年。戦争を知らない世代にとって、それは遠い過去の歴史である。 これまで、戦争の悲惨さを知る世代が日本の平和を守り抜いてきたが、これから次の世代が受け継がねばならない。戦争を実体験していなくても、平和の有難さは十分知ることができる。何事もない平凡な暮らしこそ、最高の平和の証であり、我々はこの「当たり前の平和」に対して、不感になってはならない。
 
 しかし、社会における日常の様々な不満や怒り、外国からの挑発や威嚇、また民族的なナショナリズムなど、人々の心が平和から揺さぶられる要因が多々ある。 最近、以前の日本では考えられない事件が毎日のように勃発しており、遣り切れない気分になることが多い。他人への思いやりや協調性など、これまで大切にされていた精神が薄れてきている。競争社会、個人主義化が原因なのか、こうした空気は平和な社会を少しづつ蝕んでいくように思える。
 
 また、国家の行方も気になる。安全保障関連法案もうまく使えば、戦争の抑止力になるかもしれないが、一歩間違えれば戦争法案に化してしまう。これは原子力と同じで、利益と大きな危険が表裏一体にある、とてもハイリスクな法案である。いま与党が利益面だけ都合よく強調して説明しているが、これをそのまま信じ込んではいけない。この法案は、原発と同様に2重、3重のセキュリティーが必要であり、暴走しないための抑止力をもっと強化しなければならないと考える。
 
 いまの政治は、物事をすべて国益で判断する風潮が強い。欧米や中国、ロシアに対しても国益をもっと主張して対等な交渉で臨むべきで、いつまでも敗戦国のレッテルを張られたままではいけないという機運が高まっている。 しかし、日本が戦争に突き進んだのもこうした国益主義であり、そのとき軍部が力を持ったことにある。何か戦前の日本の空気に似てきた感じがしてならない。 毎年、戦争と平和のこのような話も8月始めから2週間ほど、テレビや新聞などの特集で深まるが、8月15日の天皇陛下の慰霊のお言葉で締めくくられ、それを境にピタリと日常の生活に戻る。 この期間にどれだけの人たちが戦争と平和について考え、何かを思い、感じたか。
 
 国家の平和はやはり国民一人ひとりの心にある。特にこれからの若い世代、そして子供たちに伝えていかなければならなく、心の中にしっかり残していかなければならない。 戦争を知る世代から受け継ぐバトンは実は平和を守るための「心の掟」のようなものかもしれない。

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おもてなし精神でものづくり。これが日本の強みだ。 [社会・生活]

 いつもふらりと入る馴染みの書店。気がつけばアニメゾーンが大幅に増床し、専門書ゾーンがジワリと狭まっている。確かに商売として考えれば、売れない難しい本を多く置くより、子どもが小遣いをはたいても買うマンガ本を棚に入れていた方が絶対に得策。個人的には残念であるけど仕方ないことだ。今は立ち読みができないように、本はビニールに包まれ陳列されている。そのためか、書店の雰囲気は、そのゾーンを境にガラリと変わり、異質な空気が漂ってくる。

 最近ではアニメ、マンガもすっかり日本を代表する文化の一つとして挙げられ、一昔前のように「下らない娯楽本」と見下げることはできなくなった。海外ではその日本のアニメが美術館でも展示されるほど、芸術的な評価を得ているのだから、ちょっと戸惑さえ感じる。どうして世界中でこんなに評価が高いのか、きっと不思議に思う日本人も多いことだろう。

 これは日本のラーメン、カレー、そば、うどん、お好み焼き等の一般大衆の食文化が、いま海外で非常に注目を集めているのと共通した現象と考える。我々が普段あたり前と思っている食文化が、外国人にとって新鮮で驚きであり、しかもその完成度に感心させらたという話はよく耳にする。いわゆる日本のおもてなし精神がものづくりや食づくりを通じて、世界でも群を抜いた製品や食、あるいは文化を築きあげてきた成果だと思う。

 私はあまりアニメには関心ないが、ビニールに包まれていない雑誌をパラパラ観ると、確かにうなづけるものがある。内容は決して上等とは言えないものでも、絵の繊細さや完成度は日本人ならではの丁寧な仕事が表れている。手抜きをせず、真面目に取り組む姿が目に浮んでくる。

 それから、もうひとつの特徴として、普段、自己表現が下手で目立つことが苦手な日本人が、アニメの世界になると実に大胆で表現力豊かになる。ハリウッド映画顔負けの大アクションが展開されたり、逆に心の繊細な描写や自然の大切さ、人との絆など、非常にデリケートな物語など、その表現方法の自由さや幅の広さは、日本アニメの大きな特徴とも言っていい。そうしたことも多くの人を惹きつけているのではないだろうか。

 何でもまじめに取り組んで、一級品にしてしまうのは日本の誇るべき文化である。産業面では安くてそこそこの品質の製品を作る新興国の追い上げで、日本の工業の時代はもう終わりという声もよくあるが、これらの商品が市場に溢れるほど、メイドインジャパンのブランドが際立ってくるように思える。

 日本のものづくりの特徴は高度な技術にだけ表れるものではなく、むしろ普通の「何でもないところ」に潜んでいるのが凄いのだ。だから、いつまでも日本悲観論ばかり言っていないで、もっと自信を持ち世界に臨むべきであろう。アニメや食文化だけでなく、まだまだ誇れるものが目の前に無数転がっているような気がする。


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2020年東京オリンピックに向けて日本再生を! [社会・生活]

 2020年東京でのオリンピック開催の決定は、停滞を続いていた日本に、久々に元気の出る話題になった。バブル崩壊以降、日本は常に後ろ向き思考で、気が付けば世界第2位の経済大国から3位に転落と同時にこれまで絶対的といわれていた経済競争力でさえ新興国に脅かされるほど、かつての勢いを失った。国内も東日本大震災の傷跡も絶えず、原発では汚染問題の解決の糸口させえ見つからない。そんな日本に、今回のオリンピック開催は大きな目標ができ、いままで硬直していた様々な問題をもう一度見直すキッカケにもなる。日本再生の絶好のチャンスだ。

 そこで、いまの日本を変革することを色々考えてみた。次に思い浮かべたことを記してみる。

①子供から高齢者までスポーツで健康づくり。

 いまの子供は家の中でゲームばかり、大事な成長期に体を動かす機会を失っている。子どものせいではなく、むしろ、社会のしくみがそうさせていると思う。提案としては、「生活の中でふれあえるスポーツ(体を楽しく動かせる)空間」。たとえば市民がいつでも参加できるスポーツイベントを増やす、身体を動かせる場所、公園あるいはウォーキングゾーンの増設、整備など、そうしたことで普段の生活の中でスポーツに気軽に接せられる社会ができれば嬉しい。スポーツは高齢者の健康増進にもなり、年々増加する医療費も抑制にもつながる。子供からお年寄りまで、みんながスポーツに関心を持ち、身体を動かせれば、きっと元気で活力のある社会になっていくと思う。

②おもてなしの街づくり

 プレゼンテーションの時、滝川クリステルが日本のおもてなしを紹介したが、「これが日本文化だ」と誇れる街づくりをしてもらいたい。ただ見かけだけの小奇麗な街ではなく、もっと歴史や伝統や文化の香り、そして現代日本の良さなど、そんな他国にない街づくりを目指してほしい。また、建物や交通インフラだけでなく、そこに住み、働く人々が生き生きした都市や街なければ魅力はない。まず、日本人の心がゆったりと安心して、海外からたくさんの観光客を迎える体制大切だ。それには日本人にとって苦手な言葉(英語)や海外の風習や文化も受け入れる心構えなど、あと7年間で国際化していくことも必要といえる。まさに人々も変わっていかなければいけない。

③環境共生の街

 かつて江戸は約8割が緑に覆われ、川や海いを生活や産業に上手に活かした世界最高のエコ都市であった。しかし、それから170年、現代の東京はその真逆に進展し、膨大エネルギーなければ機能しない大消費マンモス都市である。これからの地球環境問題を考えれば、このままではいけない。建物などの省エネルギー化はもちろんであるが、都心に街路樹や小さな公園、あるいはビルの緑化など、自然環境の割合を高めていく必要がある。現在のコンクリート砂漠から、緑の中の都市に変革できれば、夏のヒートアイランド現象もかなり解消できるのではないだろうか。

④日本全体が観光地化

 オリンピック時には大勢の外国人観光客が訪れる。当然、観光で日本の名所巡りだけでなく、普通の街並み等の散策したりすることもあろう。観光地は立派であるが、一歩裏に入れば愛想のない街、人々では、とてもおもてなし文化の国とはいえない。東京だけでなく、日本全国すべて観光地というスタンスで、町おこしをしてみたらどうだろう。

 お金をかけて綺麗に整備するのではなく、自分のテリトリーをしっかり整える。一つの成功例として、瀬戸内海の島々で繰り広げられている現代アートの街づくり 、まだ10年足らずと聞くが、観光資源が全くなかった島々が、いまでは年間100万人以上訪れるそうだ。島の一般の人たちまでが自分の家に暖簾をかけるなど自主的に観光に参加することで、島全体が芸術文化で生き生きとしているという。これまで商業、経済だけで街の開発を行っていたが、文化を軸に切り替えていくことも、これからの日本の都市、街づくりとしてふさわしいと考える。

 以上、街づくりの話ばかり多くなったが、やはり器は大事で、その器に何を求めているかで大きく変わる。今回のオリンピックをバブルと捉え経済の波及効果や一儲けのタネばかりに考えている人々も多かろう。しかし、その論理だけでこのビックチャンスを進めたら、間違いなく100年間後悔する。これまでの反省を踏まえ、政治がリーダーシップをとり、日本再生に向けて取り組んでもらうことを望む。


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日本の平和を維持するには何が必要か。 [社会・生活]

 国民の意識調査で、防衛力の増強、集団的自衛権の行使への賛成割合が、この数年増加傾向を辿っている。

 中国による尖閣諸島での威嚇や北朝鮮のミサイル攻撃の恐れなどから、そうした意識の増大は当然のことと言えよう。アメリカの核の傘の下で戦後68年間、何事もなく過ごしてきた日本であるが、そろそろ転機が訪れているのは誰もが感じている。中国の台頭、アメリカの国力停滞、テロの勃発、中東諸国の政情不安定など、国際状況が大きく変化する中、いままで堅固と思われていた安全保障の仕組みも、再度見直していく必要がある。そして、日本が平和を保つため、いままで何をしてきたか、どれだけの努力をしてきたか、反省を踏まえて、しっかり総括すべきであろう。

 この問題に対して、安倍首相は以前から強いこだわりを持ち、保守色も濃い。自著の「美しい国へ」では自立した国家、自ら帰属する国家の伝統、歴史、文化に誇りをもつという純粋な愛国心など、国家の在り方を強く訴えている。そして、その根幹にある憲法改正、特に9条に縛られていた戦争放棄、平和の概念についても意欲的に言及している。それを危険思想と危惧する声も多いが、経済や景気だけを政治の焦点にしてきた過去数十年間の政権と比べると一歩進んだと言えよう。

 さて、この「平和」であるが、それをどのようにすれば維持できるか。大きくは次の2極の議論に分かれると思う。一つは国防を強化し、しっかり国を守る。さらに日米同盟も強化し、軍事力の増強で不安を解消する考え。

 もうひとつは軍事よりも外交重視。日本が軍事力を高めれば、逆に相手国を刺激し緊張をもたらす。軍事的手法を使わず、あらゆる手段(文化交流や経済支援、環境技術支援など日本ができること)を行使すべきとの考え。さらにこの2極をミックスした考えもあるが、究極はこの2つに絞られると思う。

 どちらも納得する考え方であるが、一つ目の考えは相手が弱ければ軍事力で抑えることができるだろうが、対象が大国の中国であれば、現在の自衛隊では力不足、本格的な軍隊を編成する必要がある。気が付けば第二次世界大戦前と同じ巨大軍事体制が出来上がることも否めない。現在の日本人には、戦争加害者(前科者)の意識は低いが、周辺諸国 特に中国、韓国などはそれを決して許すことはない。むしろ、今以上に関係が悪化し、領海域での緊張感はさらに高まってくることが予想される。

 いずれにしても、日本をはじめ周辺諸国が安心、安全な高度な民主主義にならない限り、戦争の火種を断ち切ることはできない。利害関係だけで物事を進めれば必ず、火花は散る。これは国家同士だけでなく、人と人との小さな関係の中でも起こる。まずはお互いの信頼関係が大切だ。

国を守ること、そして自分の国に尊厳を持ち、自立心を高めることは重要である。しかし、歴史を観ればそれが戦争に直結しているのも事実であることも忘れてはならない。大河ドラマ「八重の桜」では、会津の人々が国を守るため、官軍相手に死闘を繰り広げ、最後は悲惨な結末を迎える場面がある。いわば福島県対山口県、鹿児島県の連合軍の戦争である。その日本人同士の争いに命を懸けていたのだから、今では到底考えられないことだ。明治前までは藩が国家の最上位で日本という概念は殆どなかったのだ。

 現在、経済、情報においてはグローバル化が進み、国家のすみわけが曖昧になっているが、人の国家意識はいまだ国境を境に固まっている。しかし、もっと時代が進めばすべてがグローバルに展開していくのではないだろうか。日本も中国も韓国も同じ法律と制度が適用される時代がくれば、尖閣諸島も竹島もどうでもよい問題になるだろう。

 一つの巨大な国家が力で支配するか、民主的に国々が集まって連合国をつくるか、いずれどちらかに進んでいくと想像する。ただ、その時、会津藩のように意地を張って多くの人の命や財産を失うことは、決して賢明とは言えない。

 安倍首相の描く国家は、確かに美しい国だが、ちょっと昔の武士の気骨が入り過ぎているような気がしてならない。むしろ、したたかな町人の生き方や精神も見習うべきではないだろうか。まずは国のカタチを維持するよりも、日本人がどんな苦境でも戦争をせず生き延びれる選択肢を見出すことが重要であり、しなやかな考え方が大事なのではないか。


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都心のコンビニに日本人の店員がいない。 [社会・生活]

 最近、日本人は働かなくなったのではないか。

 都心でコンビニに入ると、まず日本人の店員はいない。私がいつも利用しているコンビニでは、名札に「ちゃん」「りゅう」「ぎ」など中国名がカタカナで書いてある。居酒屋に行っても店員の注文の言葉がぎこちない。建設現場、介護や清掃関係などあらゆるところで外国人が多く働いている。彼らは日本にすっかり溶け込み、我々もそれに違和感を感じることもなくなった。ある意味で国際化が進んだといえるが、素直には喜べる状態ではない。

 人手不足で外国人を雇っているのか。

 ところが一方、新卒の大学生は就職難で苦しんでいるという。50社、100社廻って不採用。就職に在りつけず、アルバイトやニートで職つなぎ、仕事に絶望感を抱いている若者も少なくない。今年はアベノミクス効果もあり、やや就職難も緩和されているようだが、それでも厳しさは続いているようだ。

 ただ、この状況に疑問を感じることもある。

 資質、実力もない未熟者な若者が、給料の良い安定した企業ばかり求め、労働条件のキツイ仕事は避けている。こんな金額では生活もできない。キツイ仕事、自分には向いていないなど若者の口から良く出る言葉だ。実際、その仕事ですら身に有り余るものであっても否定ばかりで、チャレンジしようという気概は見えてこない。自分がどの程度の人間か本質的にわかっていない。それが自分を不幸に追い込んでいる。

 このような背景には、子供の頃から裕福な生活に浸り、努力しなくてもほしい物が手に入り、何不自由なく大人になってしまったことにあるように思える。高度経済成長時代を生き抜いてきたハングリーな日本人とは、現代の若者は別人種である。だからと言って、貧しかった時代に戻ることがいいことではない。豊かな成熟社会をどう築いていくかが問題なのである。ベストな状態を維持していくほど難しいことはない。ゆるみがでれば崩れてしまう。いまの日本はそういうジレンマの状況に陥っているのではないか。

 しかし、将来の日本の活力、元気さは、すべて若者にかかっている。安全で豊かさな温室社会では、これからの困難を乗り越えることは厳しい。さらに言えば子供たちをどう教育、人間づくりしていくか、それで決まってしまう。政治は現在の経済のことばかり論ずるのでなく、もっと未来の日本のために力を注ぐことも大事ではないか。

 また若者にも、発展途上国の若者に負けないくらいのハングリー精神を持ってほしい。まず、それがなければ日本がもう一度輝くことは難しいだろう。


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健康には快適な睡眠、そのために枕は要注意。 [社会・生活]

最近まで、不眠続きで体調がすぐれず苦しんでいた。

ベッドのクッションはやや硬めではあるが、それ以上にコチコチの板の上で寝ている感じで、とにかく毎晩寝付けられず、いつも明け方まで半眠状態。

だからと言って睡眠薬は飲みたくないし、寝る前は「今日こそは無事に眠れますように」と祈る気持ちであった。

そんな状況なので、仕事がちょっとハードになると疲労もひどく、いつも体中の血行が滞った感じさえあった。以前はそんな事はなかったはずと思いつつ、数か月間の悩みが続いた。

状況が変わったのは数日前。ふと「枕」を替えたことを思い出した事から始まる。

その前に使っていた柔らかめの枕を探し出し、それに替えてみた。するとどうだろう、板のように感じていたベッドの感触がこれまで違うではないか。全体的にクッションも感じ、以前のような寝心地が戻ってきた。それからは少しづつ眠れるようになり、昨日はマッサージを受けに行ったせいか久々に熟睡できた。体もだいぶ回復し、長いトンネルからやっと抜け出した心地である。

それまで、不眠の原因は運動不足のせいか、それとも体のどこか異常をきたしているのかなど、毎日あれこれ悩んでいたが、こうしてみると「枕」による要因が大きかったようだ

では、なぜ、あの時に枕を替えたのか、それを思い出してみると皮肉な結果が浮かんできた。

事の始まりは、いままで使っていた枕が汗ばんだ為、新しい枕を買いに行った時のことである。

店内に色々種類の枕がある中で、ひと際柔らかく、クッション性の良いものがあり、私はこれだと思い手にしてみた。ただ気に入ったものの、仕様と価格を観るとスポンジ入りのあまりにも安価なものだった。

枕というものは毎日使うものだからやはり良いものでなければならないという先入観で、もうひとつ羽毛入りのやや値段の高めのものも購入した。最初にその柔らかい枕をして、しばらくしてから、その問題の枕に取替えたのだった。

直ぐに違和感を感じなかったが、硬さと高さの微妙なずれが、ジワジワ体に悪影響を及ぼしていたのだろう。

もしかしたら、その枕の方が相性が良い人もいるかもしれない。ただ私の場合は安価な枕の方が体に合っていたようだ。こうしてみると枕のちょっとしたことで健康を損ねている人たちも多いのではないかと思う。

まず健康は快適な睡眠が何より大事、そのためには自分に合った枕が重要、それを痛切に感じるものだった。私のような人もいると思いますので、ご参考になればと体験を一筆書きました。


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現代社会の窮屈さと憂鬱 [社会・生活]

1.現代社会の窮屈さと人の感情

  いまは便利な社会になりすぎている。 解らないこともネットで調べれば、瞬時に、しかもタダで専門的なレベルまで知ることができる。はるか遠い昔、三蔵法師が天竺にお経を授かりに行く為、命がけで三千里の旅をする話があるが、現代はあまりに安易な社会になった。 これも人々が便利さを追求し、先人達からの日々努力の積み重ねがあってこそ、今日の豊かな社会が築き上げたのだ。それに対して感謝しなくてはいけないが、その便利で出来過ぎた社会システムは、必ずし生き心地の良いものではない。 どこかギクシャクし、我々の心の中で大きな病巣をつくっているように思える。

  社会や文明の急激な進歩や変化に対して、人の感性や感情など潜在的な性質は、太古の昔とそう大して変わらない。おそらく、イライラしたり、カッとする感情メカニズムは本来からある生物的本能だ。つまり、人間の作った社会システムが自分たちをその歯車に組み込もうとする時、人はその抑圧に反発し、心の葛藤が生じているのではないか。それは子供が大人になる前の反抗期と同じで異常なことではない。問題はそうした社会に脱落し、鬱状態になったり、命を絶つに至る人たちが年々増加していることだ。

2.現代社会の憂鬱

  現代の若者は小さい頃から、塾で勉強詰め、遊びはゲームの仮想空間の中で楽しみ、普段から自然の中で考え、体を動かす機会は殆どない。心身ともに窮屈な現代社会にズッポリ浸かっている。そのような環境で育った若者は、自然や社会で起こる様々な困難や厳しさを理解する能力に当然疎くなる。また、僅かな喜びや悲しみを感じる「心の力」が養われるチャンスも少ない。そうした人間らしさをつくる感性や感情は、無味乾燥した規則だらけの現代社会の中で、退化する傾向にあるように思えてならない。

  最近、増加している鬱患者の共通している点は、自分の思うようにいかない事に悩むことだ。特に人間関係での心労が大きい。人の心は自然と同じでなかなか自分の思うとおりにいかない。言えばわかると思っても、言ってもわからないのが、まさに人間だと思う。

  しかし、現代人はなぜわからないか、それがわからない。悩みに悩み気がおかしくなる。子供の虐待でも自分の思うような「かわいい赤ちゃん」でいてくれればよいが、ただ腹を空かせて泣きわめく状況が続くと、厄介な生き物にしか思えてこなくなるという話を聞いたことがある。育児ノイローゼと言えども、自分の子供が飼いならしたペットと同列に観えてくるのも実に悲しい事実である。

3.自然との共生精神を養うことの大切さ

  昔のひと達は、まず自然をいかに自分の味方につけるかを考えていた。だから、昔の日本の住まい方には様々な工夫に満ちていた。引き戸を中心とした雨戸や襖、障子などの建具はまさに高温多湿に対応すべく、風通し、通気性に配慮した建築法であり、炬燵(コタツ)は世界に例を観ない省エネ個別暖房システムである。自然にまっすぐ向き合い、知恵を絞ることが生きるための生活の基本であった。

  しかし、現代社会は自然を排除することからスタートしている。 まずはじめに、その土地にある自然の木々を伐採し更地してから建物を造る。その建物は外との熱や音をしっかり遮断し、自然と完全に分離する形にしていく。当然、そこに住む人たちは、自然の厳しさから保護され、安心な生活を得ることができる。しかし、昔のように住まいから四季折々の自然を、どれだけ体感できるだろうか。残念ながら、自分で相当意識をしない限り、それを享受することは難しい。

   そんなことが、人の心にも大きく作用しているように思える。自然を感じる心は、人の心を感じる力も養う。つまり、自然も人も同じなのだ。 子供たちの感受性を高めるべき大事な時期に、自然に接する機会を失ってしまった現代社会は、心の脆(もろ)い社会になっていくように思える。

 便利で人工物に囲まれた非自然的な社会の中で、人間が人間らしく生きていくためには、ちょっとした自然の美しさやささいな喜びを、心の底から本当に感じ取れる感性を養う努力、便利さとは逆の「厳しさ」や「大変さ」も受け入れるゆとりある心を育むことが一層大切になってきたのではないかと感じるこの頃である。


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大震災から1年半。復興の思いを風化させてはいけない。 [社会・生活]

  東日本大震災から1年半。どのくらい復興したのだろうか。正直、私は東北には足を運んだことはない。メディアの情報から知るだけである。 個人的にどれだけの力になれたか。いくらか募金をしたが、たった一人の数日分の生活費の足しになるくらいで、何の役にも立っていないような気がしてならない。

   我々1人1人ははっきり言って、無力である。やはり、政治が本気になって取り組まなければ、何も進まない。何が問題で、何が必要か。そして、何をすべきなのか。それを池上さん流に、わかりやすく国民に説明してほしい。そうすれば、みんなが力をもっと出し合えるように思える。

   本当に復興するには10年、20年単位の気の遠くなる話だが、人々の生活は1日1日が勝負であり、悠長なことは言ってられない。まずは生活第一だ。

  最近、東北で復興バブルという話を聞くが、地元の農家や漁業の方々が除染など慣れない作業をしているという。中には年配の女性の方もいるそうで、これは本来あるべき姿ではない。 とにかく、本当の仕事をつくらなければ、元気な人でさえ生活していけない。都心ではまだ、福島産の農産物や魚介類などを敬遠している人たちも多いらしいが、あまり過剰になるべきではない。そのためには、政府は食品の安全性に対して、もっと安心できるように、しっかり宣言しなければいけない。

  人は自分一人では生きていけない。人の支えがあって初めて自立できる。いまは日本全体で東北を支えることが最重要である。

  1年半の節目。復興の思いを風化させないよう、もう一度、心にしっかりと刻み込み、できることを続けていこう。


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「毛虫の毒」と「薬の毒」、どっちが「毒」か。 [社会・生活]

 チャドクガの毛虫に刺され手に大湿疹が出た。症状がひどく、病院に行ったところ、ステロイド系の塗り薬が渡された。

 そのチューブには劇薬を表す「劇」の字がしっかり書かれていた。たしかに、毛虫の毒は強く、それに対抗すべき薬は強力なものが求められる。

 でも、ふと疑問も感じる。「毛虫の毒と薬の毒、どっちが毒なのだろうか。」

 毛虫の毒は一回刺されただけだが、薬の毒は毎日3回、1週間塗り続けなければならない。

 ステロイドは炎症を鎮め、免疫を抑制する副腎皮質ホルモンの作用があるという。だが、それは擬似的に造られた化学物質である。毛虫の毒のように自然界にある物質とはわけが違う。人間の体には絶対に合わないものだろう。

 本当は焦らずに、自分自身の自然治癒力で直すのが一番いいのはわかっている。でも、湿疹ばかりは痒さと見苦しさで、早く何とかしたくなる。とりあえず、医者を信じて一週間塗り続けることに決心した。副作用などもっとひどい症状が起きないことを祈るばかりである。


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終戦記念日、過去でなく、未来を見つめる日だ。 [社会・生活]

  戦後67年。いまや太平洋戦争の実体験を語れる人は数少なくなり、遠い歴史の一コマになりつつある。

  だが、戦争は決して終結していない。竹島や尖閣諸島、北方領土などの隣国との領土問題は再燃し、慰安婦問題。そして、いまだに住民を苦しめている沖縄の米軍基地問題。どれもずっと戦争を引きずり、解決の道筋さえ見えていない。

  戦後の高度経済成長で日本は豊かになり、完全復興したかのように見える。だが、我々は、多くの犠牲者の上に今日の平和が築かれていることを忘れてはならない。

  硫黄島をはじめ南方諸島での玉砕、壮絶な沖縄決戦。また、東京大空襲、広島、長崎の原爆などで、数えきれない尊い命が消えた。その犠牲数は約300万人を超える。きっと、この愚かな過ちを2度と繰り返さないようにと無念を滲ませて訴えているに違いない。我々は歴史をきちっと直視し、たとえどんな小さな事でも戦争に通ずる道は根絶しなければならない。

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暑中見舞いで結婚のご報告

結婚報告はがき専用の暑中見舞いラインナップ勢揃い。早割7/2まで

hagaki.saltwedding.jp/

暑中見舞い、残暑見舞い時期 - その他(生活お役立ち) - 教えて!goo

2006年8月2日 ... 【暑中見舞】「二十四節気」の小暑 (7月7日)~大暑(7月23日)~立秋(8月8日)の前日 まで【残暑見舞】立秋(8月8日)~処暑(8月23日)~白露(9月8日)の前日まで【寒中見舞 】小寒(1月5日)~大寒(1月20日)~立春(2月4日)の前日まで ...

oshiete.goo.ne.jp>...>生活お役立ち>その他(生活お役立ち)

暑中見舞い・残暑見舞いの書き方・送り方 - 年賀状・暑中見舞いドットコム

暑中見舞い・残暑見舞いの書き方の基本 | 宛名の書き方 | 暑中見舞い・残暑見舞いを 送る時期 | 多用途な暑中見舞い. 暑中見舞い・残暑見舞いを ... 季節の挨拶 「暑中お 見舞い申し上げます」「残暑お見舞い申し上げます」などの決まり文句 ↓; 先方の安否を ...

www.nengasyotyuu.com/syochu/sbashic/index.html

残暑見舞い》はがき・書き方・文例・例・いつからいつまで・暑中見舞い時期

上述のように、暑中見舞いは最も暑さが厳しい季節[=二十四節気では、小暑(7/7頃) ~立秋(8/7頃)の前まで]に出します。 暑中見舞時期を過ぎた頃に出す残暑見舞いは ちょうど、お中元の時期の後になるため、御中元のお礼状を兼ねた残暑見舞いのお便り ...

www.jp-guide.net/manner/sa/zansho_mimai.html

暑中見舞いの書き方》暑中お見舞い時期・期間・文例・例文・文面・文章

暑中見舞いの書き方とマナーのページ。暑中見舞いの時期は梅雨明けの7月初旬から 立秋(8月7日頃)までの期間です。暑中お見舞い文例とはがきのレイアウトおよび文面 を紹介します。イラスト入りはがきの使い方や挨拶文・季節感ある文章例文を掲載。

www.jp-guide.net/manner/sa/s-mimai.html

出す時期は?何を書く?そろそろ気になる「暑中見舞い」の書き方 - はてな ...

2010年7月6日 ... 出す時期は? まずは暑中見舞いを出す際の基本のポイントを押さえておきましょう。 ▽ 暑中見舞い特集:暑中見舞い・残暑 ... まずは「暑中お見舞い申し上げます」など季節の 挨拶から始め、続いて相手を気遣う言葉や自分の近況について書き ...

b.hatena.ne.jp/articles/201007/1359

暑中見舞いとは - はてなキーワード

7月20日から8月8日までの土用の期間中を「暑中」といい、この時期にだす夏の挨拶状 を暑中見舞いという。 ... なお、立秋(8月8日)をすぎてからの見舞いは残暑見舞いとなり 、挨拶状の冒頭の句も「暑中お見舞い申し上げます」から「残暑お見舞い申し上げます」 ...

d.hatena.ne.jp/keyword/暑中見舞い

暑中見舞い・残暑見舞い - All About

2012年6月6日 ... ... 書き方マナーなど。暑中見舞い作成に便利なソフトや素材集の情報もあつめました。 少し時期が遅くなった方は、残暑見舞いに関する情報をどうぞ。 ... のキーワード&文例 集. 残暑お見舞いの書き方のコツと文例集・マナーをまとめました。

allabout.co.jp>All About トップ>特集一覧

暑中見舞い - Wikipedia

時期-その他-参考文献-出典

暑中見舞い(しょちゅうみまい)とは、暑中に知人などへ安否を尋ねるために家を訪問し たり、手紙を出すこと。または、その手紙や贈り物そのものを指す。関連する残暑見舞い (ざんしょみまい)についても取り扱う。 本来は、1年で最も暑い時期に相手の健康を ...

ja.wikipedia.org/wiki/暑中見舞い

残暑、暑中見舞い時期 - 夏のご挨拶

暑中見舞ハガキ作成時にお好みのイラスト、テンプレート、グリーティングカード、フォト フレームデザインをお選びください。 トップページ; 暑中 ... 暑中見舞いや、残暑見舞いは 、夏の暑い時期に、相手を気遣う言葉を載せて贈る夏の挨拶状。 暑中見舞いも、残暑 ...

print-sozai.net/shochumimai/season/

暑中見舞い・残暑見舞いマナー【暑中見舞い・残暑見舞い時期・文例】

暑中見舞い・残暑見舞いのマナーのページでは、暑中見舞い・残暑見舞いの書き方や 送る時期などを掲載。 ... 先日はご丁寧に暑中見舞をいただきありがとうございました この暑さの中 お変わりなくご活躍のご様子 安心いたしました 私も身体の丈夫さだけは 人一 ...

www.kmrh.com/yomo2.html

Q.

今の時期って暑中見舞いの時期ですよね、そこでお聞きしたいのですが暑中見舞いの...

暑中見舞いの葉書が無い場合は普通の便箋とかで暑中見舞いって書いては駄目なんでしょうか? かわいいレターセットとかで書いて...

A.

ハガキというのは「葉書」「端書」と書かれる事があるように、「簡易な書状」の事です。つまり本来なら便箋に書き、封書で送るの...

解決済み-回答数:1-質問日時:2011年8月1日

Q.

暑中見舞いの時期 今週末に入籍をします。 結婚式は来年の5月を予定してます。 結...

結婚相手は社内恋愛で、入籍後もお互い仕事を続けていきます。 式まで約1年ありますので会社の社長へ口頭で結婚報告はしますが...

A.

梅雨明けを待って立秋(今年は8月8日)の前日までに受取人に届くように投函します。実際には7月最終週あたりが投函の目安です...

解決済み-回答数:4-質問日時:2007年7月10日

Q.

お中元のお礼状の書き方を教えて下さい 親戚よりお中元を頂きました。 暑中見舞い...

暑中見舞いの時期まで待たず、すぐお礼状(ハガキ)を書きたいです。 今の時期(梅雨)の時候の挨拶を入れた、文章を教えて下さ...

回答数:2-質問日時:2012年7月4日

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  今の日本はみんな平和ボケしている。実際、「戦争」という言葉自体に違和感を覚える人も少なくないだろう。そのくらい平和に恵まれている。しかし、一方で、一歩間違えれば隣国からミサイルが飛んでくる危機が存在している。いったい何基のミサイルが日本に向いているか、そうしたことも自覚する必要がある。戦争は自国の努力だけで無くせるものではない。隣国をはじめ、世界中の国々との平和活動の上に、戦争無き安全が築かれるのだ。

  さらに近年はもう一つ、「テロ」に対しても、十分警戒していかなければならない。たとえば、原子力発電の再稼働の有無について、経済性や自然災害での安全性ばかり議論されているが、これこそテロの標的になったら最悪だ。こうした議論こそ、平和、安全を維持するために、欠かしてはならない事項である。原発の危険、恐ろしさは、戦争の恐ろしさと変わらない。

  8月15日の終戦記念日、先人たちの命をかけた礎と平和の尊さに感謝し、そして、その思いを次の世代に継いでいく重要な日である。ただ、過去を見つめるだけでなく、未来に向けて何をすべきなのか、若い世代と一緒になって考え、そして、安定した平和をつないでいかなければならない。


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いじめ問題、大人たちの社会のひずみが影響。 [社会・生活]

 大津のいじめ自殺事件は、これまでになく大きな社会問題として取り上げられ、ネット上でも異常といえるヒートアップが繰り広げられた。 

 「死に追い詰められるほどのいじめ」の実態が、同級生たちからの証言により、ようやく明らかにされ、被害者の壮絶な恐怖や苦しみが浮かび上がってきた。ご家族の深い悲しみと無念さを思うと、とても心が痛む。それ対して、学校や教育委員会、そして警察の責任逃れの弁明は決して許されるものではない。最後の砦となるべきこれらの機関の責任は極めて重い。

 だが、いくら学校や警察が迅速に、そして真摯に対応しても、このいじめ問題が本質的に解決されるわけではない。日本の社会構造のもっと根深いところに問題が潜んでいる。まず、今回の事件で注目すべき点は、その凄まじいイジメ行為が、不良少年でなく、ごく一般の普通の家庭で育った、いわゆる良い子たちが起こしていることだ。一部の報道では親や親類の職業が明かされているが、それが本当ならば厳しそうな家庭環境に育っている。

 では、どうして、このような「むごい心」が芽生えたのだろうか。おそらく、本人たちには加害者意識が殆どなく、むしろ、ダメな人間を正しているくらいの意識でやっていた可能性もある。 いじめられた方は生涯忘れられない心の傷を負うが、いじめる方は単なる悪ふざけの軽い気持ちの場合が多い。少しでも人の心や傷みが解れば、ここまでの悲劇には至らなかっただろう。だが、そこが問題なのだ。

 いじめの原因は、個人の性格や考え方、家庭環境、またその時の周辺環境など、非常に複雑な要因が絡み合い、単純に特定できない。しかし、よく考えてみると、今日のわれわれの社会が抱えている負の要因が、子供たちの社会に大きく影響しているように思える。次に思いつくところを記す。

①勝ち組と負け組社会の影響

 利益や効率を優先する欧米型の競争主義は、日本の経済や社会構造を変えるだけでなく、人の価値観さえ変えてしまった。特に競争で脱落した負け組と称される人たちは落伍者として、社会的ランクも下げられ、その多くは経済的にも苦しい状況を強いられている。つまり、競争社会に順応できない人間は、結果的に社会的な差別を受けているといっていい。そんな歪んだ大人社会を、子供たちはこれがいまの世の中の標準と捉え、自分たちも同じように振舞っているのではないか。いじめる側といじめられる側は、やはり「勝ち組」と「負け組」で分けられるように思える。

② IT社会がもたらした仮想社会の影響

 デジタル社会の進行により、コンピュータ上で物事を判断する社会になってきた。特に子供たちはゲームに夢中になり、現実とは違う仮想空間の中で楽しんでいる。だから体を使って遊ぶこともなく、もっぱら頭の中だけで、人との関わりも少ない。また、痛みや苦しみもすべて仮想の世界であり、ゲームの中では何回相手を痛めつけても、リセットを押せばまた蘇る。こうした状況の中で、果たして人や生き物に対していたわる気持ちや痛みを感じる感性が育まれるだろうか。それは絶対にありえない。だが、そういう社会にしてしまったのだ。

③ 協調が薄れる社会(個人主義)の影響

  世の中全体が個人主義社会に移り変わってきている。昔は日本の国も貧しく、みんなで力を合わせて生きていかなければならず、そうした中で、お年寄りから子供たちまですべてが、家族や社会にどう役に立てるかを考えて生きていくことが必然とされていた。しかしいまはどうだろうか。自分が社会の中でどう生きていけば良いのか、あるいはどうすれば得なのか、そんな事が生きる中心になっている。いわば個人ひとりひとりが、社会という列車に乗るのが精一杯の世の中になっているのだ。その思想は子供たちにも受け継がれている。

  結論として、やはり大人がしっかりしなければいけないのだ。世の中は弱者も強者も、様々な人たちが力を合わせて生きていかなければならないのだと、その見本を示していくことが大切である。現代の法律では個人の権利や主張ばかりが守られ、協調という思想が薄れている。これを補うべく、倫理や宗教の力も必要なのだろう。日本の言い伝えの中には、先人たちが苦労して悟った知恵がいっぱい詰まっている。もういちど、現代の日本の中に甦らせられないものだろうか。そのためには、法律のルールよりも、法の精神を周知させるしくみや、教育の中で、子供たちに効果的に理解させること。そして、大人たちが規範となるように、社会制度を変えていかなければならない。

  それから、子供たちを仮想世界から解放させなければならない。政府はゲームやアニメの振興を経済成長にかがげているが、これはたばこと一緒で健康害があるという認識のもとで進めていく必要がある。昔、「マンガばかり観てないで、はやく寝なさい!」と子供を叱っていたが、それは本当に正解だったのかもしれない。いまは悪性のゲーム中毒が蔓延し、多くの子供たちがそれに侵されているのだ。

  いま、政治は消費税、年金、経済対策だけでガタガタやっているが、日本人の精神改革も合わせてやらなければ本当の豊かな社会づくりにならないのではないだろうか。近代文明が否定してきた先人の知恵(古臭い常識)をもう一度再考するときが来たといえよう。


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スマホ依存症、中毒症、世の中がひずんでいる。 [社会・生活]

 昨日、久々に量販店の携帯売場に立ち寄った。驚いことに、商品の殆どがスマートフォンで占められ、折りたたみタイプの旧来型携帯は店の隅の方でひっそりある程度。しかも、それはシニア向けの簡単携帯であった。1年前とまるで違う。世の中の移り変わりがあまりにも速すぎる。

 最近、駅や道路で携帯を観ながら歩いている人がやたら目につく。また、自転車で携帯を観ながら運転している姿も珍しくない。そんな状況の中、携帯に気を取られて事故が起ている件数はどのくらいあるか。数年前、「携帯、イヤホン、事故のもと」と題してブログで警告したが、その時とは比較にならないぐらい事故は多発していると想像する。

 携帯は、画面が観やすいスマホに変わり、そして機能、性能も凄い。インターネット、ゲーム、テレビ、ミニステレオ、カメラ、ビデオ、て電子財布、そして定期、もはや電話の域を遥かに超えている。これだけ人を惹きつける機能があると中毒作用も強力だ。携帯依存症と診断されそうな人は、おそらく数万、数十万ではなく、数百万人にのぼるのではないだろうか。特に若い世代が圧倒的に侵されている。

 携帯会社等の企業は、携帯がより便利で、楽しく、そして儲かるように、ひたすら努力している。しかし、それが必ずしも社会や人々の生活をハッピーにしているのではない。事故被害、心理・健康被害など負の影響も大きい。その事実にしっかり目を向け、社会的責任を自覚しなければならない。

 また、我々自身も、この小さな便利な道具の虜になるのではなく、その付き合い方を見直していかなければならない。「携帯もタバコと同じように害がある」との認識が必要だ。

 今は、まさにそんな時期に来ているのではないだろうか。


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地震が頻発しすぎる。万一の備えは大丈夫か。 [社会・生活]

  最近、首都圏を直撃する大地震、大津波、そして災害被害を予測した報道が目につく。東日本大震災以降、日本全体が揺れっぱなし、いつ大地震が発生してもおかしくない状況である。

  その災害シミュレーションは、関東大震災をモデルとした、房総半島から海底につらなる相模トラフを震源とするもの。それから、南海トラフが引き起こす、東海大地震、東南海大地震、それに南海大地震、いずれもマグネチュード8~9の超巨大地震を想定している。自分が生きている間、絶対起きてほしくないと願っていたが、もう秒読み段階に入っているようだ。先の東日本大震災では、大自然の前で人間がいかに無力であるか、また、運命も天に任せるしかないと、自力の限界も悟ったものだ。しかし、その一方で、万一の備えで、多大な被害をいかに食い止めることができるか、その可能性も痛切に感じた。

  万一の備えといっても、国家や自治体などの行政から個人のレベルまで、色々ある。まず、行政について考えると、やはり第一は原発対策。 2度と福島の不幸を繰り返えさないよう安全の見直しを徹底してもらいたい。それから、水、ガス、電気、交通網などのインフラの整備、寸断されることを前提にした備えが必要。また、倒壊しそうな古いビルや電柱、あるいは落下しそうなもの等、チェックして危険リスクを排除することも重要だ。そして、災害時の支援体制も、複雑な都市の中では難しい。帰宅難民や避難所の問題、医療や食料配給の支援体制など、様々な対応や備えが必要であり、一つ一つ、しっかりと対策を練らなければならない。気の遠くなる話だが、待った無しの問題である。これらについて、行政はすぐに実行してほしい。

  次に個人レベルであるが、まず、第一は避難対策。家や職場など普段生活している場所で起きた場合、どこに逃げるか、どこが安全なのか、きちんと把握できているか。 第二として、家の中では、家具の転倒や落下物の防止対策、電気のタコ足状態なども火災の原因になるため要注意だ。 それから、日頃から、飲料水や食糧、医薬品などの備蓄も怠らないように気をつけなければならない。少なくとも1週間分はもたせたい。 そして、最も大切なことは、近隣の人とのつきあい。万一の場合の安全確認や助け合いは、近くにいる人たちでなければできない。そのためには、となり近所の人の顔や名前が分からないでは話にならない。人とのつながりが最終的には一番重要になる。

  いつ起こるかわからない大災害。緊張感を持続することは難しいが、やはり定期的にチェック、訓練が必要だ。そんな日頃からの心構えがあってこそ、「万一の備え」と言えよう。
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携帯にカネを使い過ぎ。IT社会はひずんでいる。 [社会・生活]

  みんな携帯にいくらお金を投資しているのだろうか。電車の中を見渡すとみんな携帯に取り付かれている。最近は通信費の高いスマートフォンの利用者の方が目立つ。彼らを観ていると、ゲームやインターネット、そしてメール等を休むことなく続けている。おそらく、使い放題のコースで契約している為、使わないと損ぐらいに考えているのではないか。

  けれど、いくら定額料金で決まっていても、有料サイトやダウンロードすればさらに加算され、知らずのうちに、とんでもない費用になりそうだ。

  インターネットにしても、メールにしても、本当に必要なコミュニケーションなのか。なければ不便だけど、我々の日々の生命活動に支障をきたすものでもない。通信は空気と同じ目に見えるものでなく、人が一生懸命働いて作る実体のあるものではない。そんな通信社会の経済は、実体とかけ離れた金融(マネー)経済と共通している点も多い。

  まず、健全な経済活動は、お金がみんなのところに広く回ることである。そうした事が景気循環や雇用の創出にもつながる。しかし、いま人たちは、携帯通信費の多額の支払う為、物品の購入、映画や食事、あるいはスポーツや旅行に使うお金を削らざるを得ない状況になっている。つまり、通信会社やその関連のIT企業にお金が集中し、一般の個人商店や個人企業などにはお金が流れにくい構造になっているのではないか。これは不動産バブルや金融の投資などの時に起きた経済の流れと似ており、マクロ的には経済が循環しているように観えるが、ミクロ的には病的状況だ。

  ひとつの事例として、最近、外食しても客が少ないことが気になる。特に若い人達の姿があまり見当たらない。この1~2年の間、私の知るところでも数件店じまいがあった。これと携帯の因果関係を結びつけるのは強引すぎると言われるかもしれないが、私にはどうも無縁に考えられないのである。

  携帯はますます、高性能化、多機能化して便利になり、また無くてはならない必需品だ。ただ、それにのめり込まれ、中毒症にかかる人も少なくない。サラリーマンや主婦の多くも軽い中毒はあると思う。携帯との上手い付き合い方もこれからの社会の課題であろう。

  いまから数十年前、インターネットや携帯電話が一般化される高度情報化社会(インテリジェント社会)とはどんな社会なのかとワクワクした記憶がある。それが現実になった今思うことは、情報が溢れ過ぎて、人々が情報にかき回され、また、人々の思考や心さえも無機質的な方向に進んでいることだ。良い面もあるが、何となく窮屈な世の中になってしまったような気がする。

  一日中、スマートフォンの小さな画面ばかり見ていてはいけない。地面に咲く小さな野の花や大空に浮かぶ雲、街並みをつくる建築物や風景、鳥や虫の鳴き声など、大きな視野で、そして五感をいっぱい使って自然を感じれること、また、人とも電話やメールばかりでなく、目の前で表情を観ながらのコミュニケーションが何よりも大事と思う。

  IT技術が進歩するにつれ、我々はコンピューターの仮想社会に入り込んでいく。自分を、いかに自然のある社会、環境に引き戻すか、とにかく頭脳化社会に埋没するのではなく、自然の中で体を使い、自分の存在位置を感じれることが、本当に大切になってくるとつくづく考える。


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いま、スポーツタイプの自転車が若者にファッションとしてブーム。だが交通事故も多発。 [社会・生活]

  最近、自転車事故がクローズアップされている。特にピストバイク(ブレーキ装備なしの競技用自転車)の事故が騒がれている。先日のニュースでも、お笑いコンビの「キュートリアル」の福田さんが同種の自転車に乗っていたところ、道路交通法違反で交通切符(赤切符)を切られたとの報道があった。ちなみに前輪には装備されていたけど、後輪には付いてない片輪ブレーキだったらしい。

  このロードレースタイプの自転車は、数年前から自然派のスポーツとして人気を集めていた。特に、風景の良い景観地に行くと、必ずと言っていいほど、独特のヘルメットにスポーツウェア着て、この種のサイクル車で、結構年配の人たちが軽快に乗っている姿が目に付いたものだ。しかし、今はこの自転車がレクレーション用でなく、若者のファッションとして受け入れられて、街中で車や人を際どくよけながら猛スピードで走っている。

  そもそも、ピスト自転車はスピードを競うことを目的に競技用に作られたものであるから、全く使用環境、用途の異なる街中での運転は極めて危険性が高い。本来ならば街中での使用はNGにしてもいいくらい性能・機能にギャップがある。

  しかし、自転車業界としては、久々の大ヒット商品だ。昨日、近くのサイクルショップをのぞいたら、驚いたことにこの種のスポーツサイクル(ロードレーサー、マウンテンバイク、クロスバイクなど)が店頭にズラリと並んでいる。ロードレーサタイプでは、高い商品は70~80万円、特に20~30万円代が主力で、軽いものほど、値段は高いようだ。総重量は10kgを切ったものが多く、中には6kgという超軽量級のもある。

  店の中には若者客がやはり多く、リクレエーションというよりも、ファッションの一部として考えていそうな客層が目立つ。偏見かもしれないが、こういう人間が事故を起こすのではないかと、ついそういう目で観てしまう。

  一昔前の自転車事故と言えば、車に追突や接触しケガをするといった被害者的なものが多かったが、いまはこうした自転車が歩行者にぶつかりケガをさせるという加害者側のケースが少なくない。このままでは、今後、ますますこの傾向が高まってくる。

  また、自転車事故で最も気になるのが運転マナーの悪さである。携帯やイヤホンで音楽を聴きながら運転したり、わざとジグザク運転で遊んだり、自ら事故を引き起こす原因を作っている。最近、警察もこの種の自転車に対して取り締まりを強化しているが、利用者のモラルを変えないと、いつまで経っても改善していかない。

  それから、自転車業界にも注文したいが、安全性に対してもっと熱心に取り組んでほしい。利用者側ばかりに安全を押し付けるのではなく、もっとハード側でも安全機能装備を義務づけるなど対策も強化する必要がある。売るためにユーザのニーズばかりに目を向けるのではなく、やはり社会全体を考えた商売するのも使命である。

  自転車は健康に良いし、省エネで環境にも良い。そういう意味で自転車ブームに水をさす気はない。もっと工夫した商品とみんなのモラル向上を促進して、さらに安心できる自転車環境をつくることが、大いに望まれる。


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今年は蝉の鳴き声は遅かったが、秋の虫は早い。 [社会・生活]

 耳を澄ますとリンリンと虫の鳴き声が聞こえる。今年は蝉の鳴き声は遅かったが、秋の虫は早い。

 先週までの真夏日から、一気に肌寒くなり、秋の気配は一段と高まった。ただ、最近の天候は解らず、また残暑が続くかもしれない。ただ、街路樹や庭の木々はやや紅葉へと色づき始め、季節は暦どおり確実に移り変っている。

 考えてみると、今年は東日本大震災、原発事故から始まり、電力不足に節電運動、そして巨大な台風15号の本州縦断、これまでの年ではあまり経験することのない疲れる日々が続いた。そんな事で、リクリエーションを楽しむ気分にもなれなかった。被災地の苦労、苦難を思えばなおさらのことだ。

 また、放射能汚染の実態も少しづつ明らかになり、本当はとんでもないことが起こっていたことが解ってきた。最近、みんなが食べ物に神経質になり始めている。これも被災地の方々にはとても気の毒であるが、農産物、魚類、肉類、被災地産のすべての食産物が、敬遠されている。いや、被災地だけでない。関東周辺の農産物まで対象は広がっている。

 自分はあまり気にしていない事だが、東京都に住む人で、料理に水道水を使わず、スーパーで買ってきたペットボトルの水しか使わないという話を聞いた。それはちょっとやり過ぎで、大袈裟だと思ったが、そうした人が身近に複数いた。日本人の安全志向からすれば、驚くことではないが、ここまで心配しなければならないことで、本当に疲れてしまう。

 どんなに微量でも少しづつ摂取していれば、徐々に体に累積してくる。どんな病気も毎日の食生活によるところが多いから、気を付けることは大事なことだ。まして、小さい子供たちがいる家庭では、そのくらい神経質に考えるのも必要かもしれない。まあ、大変なことになってしまったものだ。

 そんなことを思いながら、秋の訪れを感じつつ、感慨深い気分に浸っている。網戸から涼しい風が入り気持ちが良い。真夏につけた軒下の風鈴の音と秋の虫が共演が聞こえてくる。アンバランスな季節感であるが、絶妙に調和のとれた音色を奏でている。

 これから始まる秋、いままでの疲れを癒し、少し落ちた気分で、ゆっくり過ごしてみたい。


タグ:秋の虫
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いま昭和レトロが流行っている。 [社会・生活]

 最近、「昭和」が流行っているようだ。ドラマや映画でも取り上げられるケースが目立つ。ついひと昔前だが、妙にセピア色に映り、懐かしい。

 自分も昭和中頃からどっぷり生きてきた人間である。振り返れば凄まじい変化の時代を駆け抜けてきたものだ。

 東京の移り変わりを写真で観るとあまりの変貌に驚かされる。イギリス、フランス、イタリアなどのヨーロッパ諸国は街の記憶を風景の中にしっかり残している。それに対して日本はその面影すら完全に消し去り、数十年で全く新しい街に造り変えている。まあ、それは景色だけでない。人々の暮らし、文化、思想に至るまですっかり変ってしまった。逆に昭和の何が残っているのだろう。寂しいけど殆ど思いつかない。

 では昭和とはどんな時代であったか、少なくても次の3つの時期に分かれる。まず苦難の戦前、戦中の初期、そして戦後の復興から高度経済成長を遂げる中期、そしてGDP世界第2位の経済大国にのし上がった後期。同じ昭和と言えども世の中の状況、雰囲気はガラリと違う。

 この中で日本に最も勢いがあり、希望に満ちていたのは30年~40年代だ。東京オリンピックに、新幹線開通、大阪万博など、ビックイベントが目白押しで、庶民の生活も大きく変化した。特に三種の神器と言われる冷蔵庫、洗濯機、テレビなど各家庭に普及しはじめ、戦後の貧乏状態からやっと抜け出れる兆しが観えてきたころだ。

 この頃の象徴的な光景と言えば、茶の間にある一台のテレビの前に、家族そろって、巨人戦やプロレス観戦、また家の前で親子のキャッチボール、家族みんなで銭湯に行く姿、そんな家族の絆が当たり前だった良い時代が思い浮かぶ。

 いまは人との接点が希薄である。特にマンションはセキュリティーの問題もあるが、人との交流は極めて少なくなり、子どのたちは自分の部屋に籠りゲームで遊んでいる。都会では公園や空き地など、体を動かして遊ぶ場所は少ない。だから、子供たちの温室育ちが多くなるのは仕方ないが、本当にそれでいいのか、親たちは真剣に考えるべきである。

  いつしか我々の思考パターンは、便利さを追求するあまり、欧米流の合理主義、効率主義、そして営利主義に染まり、かつて日本で大切にされていた自然を愛する心、義理深く生きることが、いつの間に排除されてしまった。

 よき日本、美しい日本。未来の子供たちにもそれを受け継いでもらいたい。いま、原発事故、東日本大震災を通じて、いままでの我々の価値観を反省する時期にきている。我々の先祖が培ってきた伝統、文化、思想をもう一度見直して、新しい時代を切り拓くことが大事だ。セピア色に染まった昭和レトロの中にも、そのヒントがたくさん詰まっているように思う。 


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ゲーセンにシニア仕様、とんでもない話だ! [社会・生活]

 今日の朝日新聞夕刊一面に「ゲーセン(ゲームセンター)にシニア仕様、畳敷きベンチ、老眼鏡も準備」の記事が記載されていた。

 ひと言、「何を考えているんだ!」。年金で生活している高齢者のやることではない。

 厚生年金や国民年金などの公的年金制度は、現役世代が払った保険料で、年金受給者の給付を支える仕組みである。したがって、この不況の中、若い現役世代は、お年寄りの年金のために、苦しい生活費の中から保険料を払っている。

 しかし、そんな犠牲を払ってつくられた年金が、こんなゲーセンで消費されていると思ったら、とても保険料を支払う気になれない。楽しんでいるのは、ほんの一部だけと言えども許す気にはなれない。

 専門家のコメント欄には、老人クラブが衰退するなか、ゲームセンターがその替わりになっており、最近はお年寄りも趣味が多様でゲーム好きな人も多く、家に閉じこもっているより、健康に良いと言う。まるで、高齢者のゲーセンを認め、かつ勧めているようにさえ読み取れる。何なんだ!

 業者も利益を上げるために、暇で金の使い方を知らない高齢者を狙いはじめたのは予想がつく。特に毎月入ってくる年金を吸い上げようという魂胆が見え見えだ。

 国家破綻する危機がせまる日本で、こんなビジネスが流行り始めているとは、実に嘆かわしい。それに対して、政治のつまらない事でも手厳しい朝日新聞に、批判的なコメントはない。どのような思考軸で記事を書いているのか、私は疑ってしまう。日本を代表するマスメディアとしては情けない。

 メディアが怒らないならば、国民が大いに怒るべきだ。はっきり言って、ゲーセンは無駄使いだ。

 もし、高齢者も金に余裕があるならば、東北の被災者や現役世代に還元させることも考えていい。寄付や基金に廻して、社会貢献することも是非やってもらいたい。いまの日本には高齢者のそうした力も必要なのだ。


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電車の中は、携帯中毒症だらけだ。 [社会・生活]

 昨日、通勤帰りの電車の中で異様な光景に遭遇した。いや気づいたと言っていい。

  自分が座っている周りの人たちすべて、ひたすら携帯の小さな液晶画面にかじり付いている。車内には話声はなく、線路を走るガタゴトする音だけが響いている。そのせいか、人と携帯の向き合う姿が妙に気になってしまう。本や新聞を読む人やボケーと窓の外を観ている人たちは、一体どこへ行ってしまったのか。何か特別な空間に迷い込んだ気分であった。

  しかし、よく観察すると、みんなそれぞれ違った携帯の使い方をしている。すぐ目の前の女性はメール。左横の年配の男性はインターネットでニュース、右横の若者はゲームで遊んでいる。左前の女性は耳にイヤホンをして音楽を聴いているようだが、慣れた手付きで懸命にメールを操作している。あとほかの人は何をしているかわからないが、とにかく携帯を眺めている。

  最近、携帯機種の進化も速い。昨年まで、折りたたみ式が主流であったが、ここではスマートフォンを使っている人が目立つ。ひと昔前、移動通話のために登場した携帯電話も、いまはテレビ、パソコン、カメラ、電子書籍、ゲーム機器、音楽プレイヤー等のマルチメディア機能に比重が移ってきており、さらに定期、お財布(電子マネー)など、その利用分野は限りなく広がっている。まさにポケットから取り出せる万能マシンへと進化している。

  そうした便利さが向上する一方で、特に「情報」と「人」との間で、ギクシャクする場面も多くなっているようだ。例えば携帯でメールを送信したが、直ぐ返信がないと、「どうしたのだろうか」「何か悪いことを書いてしまったのか」など急に不安が募ったり、イライラ感が増幅したり、また、自分に全くメールが来ないと、「本当は自分に親しい友達なんて、ひとりもいないのでは」と孤独感にさらされるなど、つまらない事であれこれ悩んでしまう人も多いようだ。逆に相手から意味のないメールやしつこすぎるメールもストレスの一因になる。「メールストレス症」と言おうか。軽い症状の人を含めれば10人に1人以上、それにかかっていそうな気がする。

  それから、インターネットも問題だ。ついつい暇になると見てしまう。パソコンならば机に向かっている時以外は見ることないけど、携帯ならばどこにいてもすぐに閲覧できる。これがまた、中毒にかかりやすい。こちらは「インターネット中毒症」。それから「ゲーム中毒症」もある。あちらこちらで、変な中毒患者が続出していそうだ。

 まさに携帯中毒、新しい現代病の始まりである。新たな精神科分野をつくらなくてはいけない。

  とにかく、携帯の存在は、この数年飛躍的に大きくなり、我々の世界にも様々な波紋を広げている。前述のメールストレスのような個人問題から、つい最近起きた大学の入試カンニング事件のように社会問題まで発展するケースも増えている。今日、個人の生活、ビジネスも、既に携帯なしでは成り立たないぐらい我々の世界に溶け込んでおり、これまで培われてきた文化や生活、仕事に至る様々な価値観を大きく変えてきている。いまは、その過渡期であり、それゆえ、戸惑いも多い。

  今後、携帯の機能や能力はさらに向上し、「第二の脳みそ」まで発展しそうな勢いである。そのうち、携帯なしでは誰とも交流できず、思考すらできないという人が増えてきそうだ。その兆しは既に若い世代に現れているような気がする。

  我々は携帯に飲み込まれ、支配されないためにも、あくまで使いこなす姿勢でいきたい。電車の中でも、たまには携帯を止めて、窓の外の景色を観るとか、新聞や本を読むとか、ひと昔に戻ることもいい。 また、子供や若者も「携帯詰め」「携帯中毒」にかからないようする対策も必要だ。メーカーも便利さや楽しさ、利益ばかり追求するのでなく、こうした「心の病」や「それが及ぼす社会問題」も真剣に取り組まなければならない。社会に深く広がったら、それを収拾することは困難である。

 携帯文化とどう付き合うか、メリット、デメリットのバランスを上手く舵取りしなければならない。これからの時代、またひとつの大きな課題が増えてしまったようだ。


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地デジ、あと2カ月。買うべきか、待つべきか。 [社会・生活]

  地デジまであと2カ月。我が家のリビングには、ブラウム管のアナログテレビがまだ健在である。

  いまから、7~8年前だったと思うが、40型の薄型のプラズマテレビが世に出てきた。たしかあの頃は、パナソニックとパイオニアが競っていたような気がする。液晶はまだそこまでの大型は無く、金額も100万円近かった記憶がある。金持ちでなければ到底買えない代物であった。

 それが、わずか10年も経たないうちに40型ならば10万円以下でも十分購入できる。しかも、画質は比べものにならないくらい奇麗である。技術の進歩は凄まじいスピードで進み、いまの商品も2~3年後には古臭く、物足りなくなりそうだ。

  そんな中、わが家のテレビはいつ切り替えるか。いまなら20万円も出せば、かなり高機能のものも買える。シャープのクアトロン4原色も魅力があるし、東芝レグザの高細度で高速の画質も捨てがたい。でも、さらに次の新製品がどうなるのか、それも気になる。いっそのこと4000円でデジタル変換チューナーを買い、腰を据えて買い控えるのも一つである。私みたいにあれこれ迷っている人はどのくらいいるのだろう。

  ラスト2カ月間、家電量販店は最後の争奪戦だ。どこまで値下げをするか見ものである。最新機能40型で5万円以下、そんな期待も頭によぎってしまう。

  でも製造メーカーは大丈夫なのか。また、膨大なテレビの廃棄物はきちんと処理されるのか、それもちょっと心配だ。不法投棄が増えなければよいが・・・。

  まあ、時代遅れにならないように、迷うのも程々にしよう。


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「安全神話」の崩壊。原発だけでない、銀行の預金システムも大丈夫か。 [社会・生活]

  今回の大震災は我々に「絶対安全」というものが世の中に無いことを教えてくれた。これまで原子力発電では、最高のテクノロジーが結集し、幾重もの安全対策が施されているため、事故の起こる確率は皆無に等しいと言われてきた。その「安全神話」は、巨大津波によって、いとも簡単に崩れ去り、人間のつくった技術が如何に驕り高ぶっていたかを痛切に思い知らされた。

 「ここで人類の進歩を止めてはいけない。現状よりさらに高い技術を磨き、より安全な原発を作るべきだ。」という声もある。しかし、あの津波の映像を観たら、それを克服できる技術を確立できるのか、疑問が残る。仮に想定されるすべてのリスクを盛り込んだとしても、それを超える状況がまた襲わないとは限らない。実際のところ答えの出しようがない。

 この原発と同じくらい「安全神話」に守られているものが、世の中にもうひとつある。「銀行等の情報管理システム」だ。

 今の時代は、個人や企業の資産すべてが情報データとして管理されている。もしも、ここでその情報が消えたら・・・。これは国家や社会、いや世界中がひっくり返るほどの大パニックが引き起こされる。そのセキュリティーは絶対的であり、誰もが完全に信頼・信用しきっている。いや、その前提が崩れることは絶対にあってはならない。だが、今回の原発事故のように想定外の事態が起こる確率もゼロではない。

 こんな話を書いたのも、最近、気になる事件が続いているからだ。3月にみずほ銀行のATMのトラブル、最近はソニーのプレーステーションから大量データの流出など、高度なセキュリティー、情報管理システムの綻びともいえる事態が相次いで発生している。後者はハッカーによる犯罪説が言われているが、今後、テロなどがそうした攻撃を仕掛けてくる可能性も十分ありうる。

 そうしたことから、今回のみずほ銀行のトラブルの件も、すんなり聞き逃すことはできない。コンピュータのシステム障害が原因のように説明されているが、実際顧客のデータに破損や消滅は無かったのか、説明通り本当に情報処理上のトラブルならばよいけど、そうでなくセキュリティーの破壊が問題ならば原発事故と同じレベルで扱うべき大事件である。

 この情報セキュリティーも各企業の安全対策に任されているが、今回の原発事故は東京電力1企業では手に負えないぐらい大きなリスクを抱えていることが明らかにされた。同様に社会基盤となる重要な情報管理システムなどの安全対策は国家レベルで構築し、テロやハッカー等の対策をする必要がある。そうしなければならないほど、安全を脅かす力が年々強くなっているように感じる。

  現在のところ、我々は銀行の情報セキュリティーを信用するしか選択の余地はない。だが、万一の事態に備えることは、今回の震災から教えられている。たとえば1つの銀行に集中させるのではなく、分散して資産管理する。あるいは、昔ながらの記帳を絶えず欠かさないことも、最終的に財産を証明するひとつの手段である。すべてを国家や企業に任せきりにしても、すべてが保障されるわけではない。それを十分自覚しなければならない。

 結局、最後は自分で自分を守るしかないのだ。


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「花」は最も防犯効果があるセキュリティー対策? [社会・生活]

 「防犯対策の最も効果的な方法は、家の周りにきれいな花をよく手入れして植えることだ」と、あるセキュリティー会社の人から、そんな話を聞いた。

 防犯セキュリティーと「きれいな花」は、まったく無関係に思われるが、その人の話には頷けることが多い。というのは、空き巣で狙われている家は、必ずしも金持ちの家ばかりとは限らないそうである。むしろ、アパートや一人暮らしの家の方が狙われやすく、その殆どに共通するのが、殺伐として何か寂しげな空気が漂っている家であると言う。もちろん、家には花などは飾っておらず、人がそこで楽しく住んでいるという雰囲気が全く感じ取れないそうだ。

 それを聞くと、我が家にも思い当たる節がある。ただし、空き巣の話でない。我が家は郊外にある一戸建ての住宅である。玄関周り、塀の周りには、プランターなどにパンジーやベチュニア等の花を一応絶やさず飾っているつもりだ。ただ、あまり面倒見のいい方でないので、時々枯らせてしまい、何日もそのままにしてしまうことがある。すると、そんな状態になっている休日に、玄関で「ピンポン」とチャイムの音がする。出ていくとエホバ(キリスト教)の布教活動している人が、何やら聖書を片手に話し始めるのだ。まるで、家の中に何か不幸が起きて、困っているのではないかという調子で話す。普段、来たことが無いのに、なぜ来たのだろうと不思議に思っていたが、ある時、家の枯れた花とエホバの布教活動の相関関係に気付いた。そんな事で、我が家では花が枯れるとエホバが来るぞというのが合言葉になっている。

 エホバの布教活動もどういう基準で家を訪問しているのか。我が家の2階から近所全体が良く見えるので、彼らがどこの家を訪ねているかよくわかる。すると一軒一軒廻っているのではなく、意外な家ばかりで布教しているのだ。その殆どが、やはりちょっと寂しげで、確かに花など飾られていない家である。そういえば、以前、そのうちの1軒で空き巣事件があった。そう考えると、花と防犯セキュリティーはまったく無縁ではなさそうだ。

 結局、花を手入れ良く植える家は、心に余裕があり、面倒観もよく、また近所づきあいが良い傾向にあって、空き巣にとっては扱いにくい家になるようだ。したがって「花」は、セキュリティーの度合いを、極めて的確に示す「バロメータ」と言えるかもしれない。

 まさに心理学をついたような話である。その人の話では、さらに防犯効果の高い花の色もあると言う。どちらかと言えば、黄色やピンクなどのパッと明るい色彩の方が、そういう人を寄せ付けない効果があるという。いわゆる明るい感じがする家ほど、彼らにとって危険でリスクの高い家らしい。

 この話が一般論として、どの程度の信憑性があるか分らないが、何となく納得してしまう。春はきれいな花がいっぱいある。防犯のためにも、ちょっと色々植えてみようと思っている。


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市議会議員選挙、「議員の通信簿」を参考に見極めよう。 [社会・生活]

 今度の日曜日は、ここ神奈川県相模原市でも市議会と県議会のW選挙である。だから、朝の出勤時間帯の駅前は実に騒々しい。

 普段は静かな駅であるが、今週は毎朝、数人の候補者が入口界隈を陣取り、応援団を交えて名前の連呼合戦をしている。候補者は何を主張しているのか分らないが、とにかく名前を売りたいらしい。こうした選挙活動はどの程度効果があるのか疑問であるが、とりあえず印象に残るのは確かである。でも自分としては、うっとしい候補者はまずペケにするつもりだ。

 今回は震災直後とあって、どうも気乗りしないが、これまで選挙を棄権したことがないというポリシーを貫くためにも、投票に行こうと思っている。

 だが、候補者をみるとその気持ちが萎えてしまう。

 特に市議会議員の候補者はあまりに内輪の人ばかりだ。ひと昔前と比べれば30代、40代の若い人たちも目につく。それはいい傾向であるが、そんな彼らの名前をよく観ると、その苗字に覚えがある。いわゆる世代交代が行われているのだ。

 まあ二世議員が絶対ダメとは言わないが、この選挙地盤をたらい回す仕組みは何とかならないものか。これが改善されない限り、いつまでも政治は硬直した状況が続きそうだ。

 最近、有志の市民が、議会を良くしようという目的で「議員の通信簿」を作成し、それをインターネットで公開する運動が各地で起きている。相模原市でも3年ほど前から始まり、昨年の通信簿は次のように記載されていた。市議会議員の総数は52名。成績を観ると優6人、良14人、可18人、不可13人、落第1人。評価の方法は、議会での質問回数、内容、議会での態度など様々な面から議員の資質を点数付けしているようだ。また、各議員1人1人の点数も公表され、総括評価でコメントもある。結局それを観ると、まともな議員は4割程度しかいないというのが実態である。

 ちなみに、前回自分が投票した議員は、あまり評価が良くなかった。ちょっと裏切られた気分である。でも、こうしたものがあると次に厳しい目で見ることができるので参考になる。ただ、これがもっと大勢の目に晒されればいいのだが。知る人は少ないかもしれない。

 このブログを書きはじめようとした時、家の近くに選挙カーが廻ってきた。元気よく名前を連呼して、「市政のために全身全霊で頑張ります」と言っている。早速、候補者の通信簿を観ると「可」だ。本人は恥ずかしくないのだろうか。でも、そんなこと関係ないかのように、「彼しかこの市政を変えられる人物はいません。情熱は誰にも負けません。何とぞよろしくお願いします」と声高かに訴えている。何か「シラ~」とするものを感じる・・・。

 この選挙パターンは21世紀、さらにこれから先も続くのだろうか。でも、この中で我々は議員を選んでいかなければならない。選挙は自分たちのためのものである。今度の日曜日は、気分は乗らないが、しっかり議員の資質を見極めて投票しよう。


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他人ごとではない東北関東大震災。支援の持続が大切。 [社会・生活]

 桜の蕾もふっくらとし、春の香りも一段と高まってきた。穏やかで春うららな日も、東日本大震災の被災地の事を思うと、そういう気分になれない。

 家族や住まい、そして生活のすべてを失ない、公共施設などで厳しい避難生活を余儀なくされている人達は、今も苦しい状況が続いている。何とか希望を持ち、そして立ち直れるように日本全体で支える必要がある。また、一時的な支援でなく持続的でなければならない。

 まだ、復興への道のりは程遠く、この状況が長期化するのは必至である。そうした中で、少しずつでも生活が自立していかなければならない。そのための生活基盤となる道路や水道、電気等のインフラや住居の整備、そして、収入源となる働ける環境づくりも必要である。そうした社会基盤をどのよに構築するかも、早急に立て直していかなければならない。

 だが、現実を観れば、街は壊滅状態で行方不明の方もまだ大勢いる。その確認作業も難航し、相当長期化することは避けられない。街の復興は少なくてもそれからだ。また、めちゃめちゃになった土地、自分の家の境界も分らなくなり、土地の権利書や戸籍謄本等の権利を証明するものさえ、すべて津波で流された状態である。これらをどう整理し、手続きを踏んで進めるか、気の遠くなる作業が待ち構えている。そう考えると、復興のスタート地点が遥か遠くにあるように思えてならない。

 それから、まちの復興には決定的な問題がある。あの津波を経験した人たちは、同じ場所に住めるだろうか。いくら自分たちのまちに愛着があっても、安全が保障されなければ怖くて住めない。しかし、あの津波に対抗できる防災計画を立てるは難しい。いま政府から、高台の土地に住居を移す案もあるようだが、おそらく、漁港周辺にその人達を受け入れるだけの空いている土地は無いと考えた方がいい。また、住まいが山奥の土地で、早朝の漁に出るのに何時間もかかるようでは仕事にならない。厳しい現実が待ち構えているような気がする。

 この震災を期に漁業から離れていく人達、あるいは続けたくても続けられない人達が大勢でてくるだろう。仕方のないことだが、あの東北独特の漁業のまちの風景が戻らないのかと思うと非常に寂しい。東北沿岸の地は漁業、水産加工業などの日本の食の産業拠点であると同時に観光地でもあり、そこには演歌や情緒ある風景画など、日本の文化や人々の心の記憶がいっぱい詰まっている。失ってから分るが、本当に大切なものが一瞬に消えてしまったのだ。

 しかし、建物や文化はあとからつくればいい。それよりも、現在、生きている人達のことを、我々は精一杯考えていかなければならない。全国ネットで支援の輪を広げていき、住民主体で一歩づつ街づくりを支援していくべきであろう。数十年単位の復興事業になる覚悟は必要である。ただ、我々も他人ごとではない。災害大国日本に住んでいる以上、自分たちも同じようなリスクを持っている。そうした思いを持って支援を続けていくべきであろう。


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