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日本は自然災害大国だ。 [環境・自然]

 季節外れの大型台風26号は伊豆大島に記録的な集中豪雨と予想を遥かに超える土石流を引き起こし、尊い多くの人命を奪うことになった。来週には更に勢力を増してきている台風27号が日本に大接近するという。いまは大惨事にならないことを祈るしかない。

 しかし、日本は本当に自然災害が多く、つくづく住むには厳しい国と思う。地震、津波、竜巻、台風、そして豪雨。1年中、どこかの地域で何かが起こっている。こんな厳しい環境の中で、生きていかなければならない日本人はやはり忍耐強いのか。

 大災害が起きて、不幸や被害が自分に降りかかっても、人々は冷静に行動し、秩序を保とうとしている。世界中の国の人々はそんな姿に驚きを隠せないようだ。

 おそらく、日本人は自然災害にはある程度慣れおり、それが起こった場合でも、そこそこの覚悟は備えている。たとえば首都圏に住む人ならば、いつか関東大震災のような大地震が発生すると自覚しているし、都市が災害に脆いことも十分承知している。だからといって、その地で生きている以上、ジタバタしても仕方がない。考えたくはないが、そんな覚悟が基本にあると思う。

 また、人々が自分勝手な振舞いで混乱を起こせば、更に事態が悪化し、忍耐強く協調することが一番得策だという事も、何気なく頭にインプットされている。それはこの地で多くの災害を経験してきた先達からの知恵もあろう。

 日本は自然災害が多い反面、自然に恵まれている。四季があり、山、川、海の豊富な幸がある。まさにハイリスク、ハイリターンの自然大国である。温暖な気候の中、ノンビリ、穏やかで、控えめな民族に観えても、ひとたび大自然が猛威を振るえば、それと戦わなければならない。厳しい自然が日本人の心身を強く鍛えている。

 いま日本が集団的自衛権の行使を行うことに、近隣諸国、とくに中国、韓国は神経をピリピリさせている。我々が考える以上に彼らは日本という国を警戒している。第二次世界大戦時の歴史的な背景だけではない。もしかしたら、それは人間の力を遥かに超越した大自然を相手に、冷静さを崩さない日本人に対して、何か不気味さを感じさせているのではないだろうか。自分たちは当たり前と思っていることも、外から観れば脅威になることもある。とにかく、日本人は常に自然と戦っている。

 さて、明日は大型台風27号と戦う準備をしなければならない。まずは建物周囲の点検と防災用品、防災食の買い出しに行かなくては。


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「原発汚染水、地下水に混入」、もっと深刻さが必要。 [環境・自然]

福島第一原発の地上タンクから漏れた汚染水が、地下水に到達した可能性が高いという。

そんなリスクは前から分かっていたはずだ。このままでいけば海に、そして地下水に放射性の毒素は流れ広い地域に拡散していく。状況は極めて深刻だ。

しかし、ニュースや新聞の報道はどうだろう。淡々と状況説明するだけで緊迫感が殆ど見られない。本来ならば一面トップの記事だが、重要度は3,4番目程度にしか扱われていない。

逆に世界の方が危機意識が高く、原子力問題に対する日本の認識の甘さが大きく露呈している。このままでは、日本は放射能汚染大国のレッテルを貼られ、世界中から日本のブランドであった「安全な国」の信用を完全に失ってしまう。

そして、何よりも国民は本当に住めない国になる危機意識をもっと持たなければいけない。メディアにもそれを喚起させる責任がある。それが政治に大きく反映する。 

安倍首相も外交ばかり精を出しているが、この原子力問題を色々ある中の1課題程度に扱っていないか。この問題はナンバー2クラスの実力派大臣を担当させ、予算は度外視し、国家の威信をかけて取組んでほしい。アベノミクスで景気が上昇などと浮かれている場合ではない。日本の知力、技術力、それだけでなく世界の英知を結集し、一刻も早く核燃料棒を抜き取り、汚染水を処理する技術を確立することが最優先と考える。

是非、安倍首相には強力なリーダーシップを取ってもいたい。


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福島原発周辺にズラリ並んだ汚染水タンクに驚き [環境・自然]

 東京電力福島第一原発敷地内にある地下貯水槽から汚染水漏えいした。東電はいまのところ海への流出は無いとしてるが怪しい話だ。

 しかし、地下に浸み入っているのは事実だから、地下水は確実に汚染され、それがどのような形で周囲に影響を与えるか、非常に不安な状況にある。

 あまりはっきりした報道はなされていないが、燃料棒はメルトダウンして構造物を破壊しているのだから、普通に考えれば、冷却水は炉心を冷やす際に常に漏水し、この付近の地下層に相当量の放射性汚染物質を排出していることになる。そちらの方が問題のような気がするが、どうなのだろう。

 今回の漏水事故で、原発周辺の様子を違う角度で映し出されたが、ズラリと規則正しく並んだグレーとブルー汚染水タンクに圧倒される。たった2年でこれだけの数であるから、これから数十年続けば、汚染水タンクでこの地域はすべて埋め尽くされてしまうことが想像される。現代の科学技術を駆使して何とかならないものだろうか。また何か良い妙案があるのだろうか。

 これは本当に国難である。解決に向けて、日本全国の優秀な人材が英知を絞ってもらいたい。それと同時に原発の無い社会を早く構築してもらいたいものだ。


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日本は脱原発で環境大国を目指すべき。 [環境・自然]

 今度の選挙は原発問題を最大の争点にしてもらいたい。

 3.11からすでに1年半以上が過ぎ、あの原発事故の恐怖を徐々に忘れかけている。だが、またいつ同じ惨事が繰り返されるかわからない。日本は世界で最も地震の巣がある危ない地域にあるのだ。

 原発ゼロで日本のエネルギーは立ち行くのか、それに否定的な人も多い。けれど現在1基しか稼働していないにも関わらず、この夏の猛暑を乗り切れた。それには火力発電のフル運転や企業、国民の節電意識もあろう。しかし、総発電量の30%以上を原発に依存しなくても何とかなることが実証されたのだ。

 国にとってエネルギーの確保は、人で例えれば食料の確保と同じである。自給するか輸入に頼るか、これから安全保障を考えれば自給の道を選択することが望ましい。資源のない日本では水力や太陽光、風力、地熱などのあらゆる自然エネルギーを駆使してエネルギー総量を稼ぐしかない。けれども、これらは発電量のわりに初期コストもかかり、事業の進展も時間がかかる。国が本腰を入れなければ原発分のエネルギーを確保することは難しい。

 もうひとつ、原発をやめなければならない理由がある。その最大の問題は使用済み核燃料棒の処理である。放射能をまき散らす核のゴミを引き取るところはどこもない。だから、現在原発の中にため込んだままだ。いわば核の肥溜め(こえダメ)があるわけで、それがすでに溢れる寸前まできている。ここに目を反らせて経済の観点から原発再開の声が上がっているがそれは無責任な議論と思う。原発を動かすことよりも、まず核のゴミをどう処分するか、その当たり前のことを議論するのが最重要と考える。

 できれば今回の総選挙でもう一度原発反対の大きな嵐が起きることを望みたい。国民がもう一度この問題を直視し真剣に考えることが今は第一で、原発を推し進めた現世代の重い責任ともいえるのではないか。

 日本はもう経済大国を目指すのではなく、脱原発で、緑豊かで、街中はゴミもなく清潔な環境の世界が羨む環境大国になるべきで、それに向けた政治決断を望みたい。


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この夏、ほぼ原発ゼロで乗り切れた。電力不足は大ウソ。 [環境・自然]

  この強烈な猛暑を、ほぼ原発ゼロ(大飯原発稼働のみ)状態で乗り切った。資源の高騰もなく、エネルギー問題による企業のダメージも聞こえてこない。結論として、原発なしで日本はつぶれないことが証明された。

   不思議なのは、なぜ原発なしで、電力が間に合ったのか。これまで政府や電力会社は、現存の火力発電で十分な電力を賄えられないと繰り返していたのに、どうして足りたのか。太陽光や風力発電の建設も進んでいるが、それを補うレベルでは到底ない。実は、日本にはエネルギーが有り余っていて、原発開発を推進するため、電力不足という大ウソを言い続けていたのではないか。

   実際この夏、節電で昨年ほどの本気さは無かったように感じる。どこの店や施設に入っても冷房はよく効いているし、照明が暗かったという記憶はあまりない。まだまだ過剰電気の使用もあり、決して節電努力で乗り切ったのではないと思う。 ただ、このまま火力発電主体に進めていくことは、CO2排出や資源の枯渇の問題などで、国民は決して望んでいない。だから、早く自然エネルギー等の再生可能エネルギーへの転換を図るべきだ。

   今回、日本は世界に先駆けて、それを実行するチャンスが訪れている。しかも、国民の9割が原発ゼロという大きな支持を得ている。一部の業界団体等が経済リスクを理由に拒んでいるが、福島原発の事故を起こした我々世代は、「安全で安心できる国」へ、次の世代の橋渡しをする義務がある。だから、早い時期に「原発ゼロ」の時代へ転換できる政策を実施していくべきだ。

   政治家たちは次の選挙での勢力争いばかりに関心が移っているが、今度は原発問題をテーマに取り上げ、政治家の意思、信念を問う必要がある。これが今の日本で決めなければならない最も重要な課題であり、それなしの復興などありえない。もう「原発ゼロ」は国民の意思であるから、それを反映させる政治をするべきだろう。


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使用済み核燃料を処理できない現状の原発システムは大欠陥だ。 [環境・自然]

  政府は、30年後の原発の割合を「0%」「15%」「20~25%」の3つの選択肢で、世論の動向を探った。その結果、「0%」が圧倒的多数を占めた。

  しかし、今回のこのアンケート調査にも疑問がある。そもそも、災害時の安全性やテロ対策などのリスクを懸念する以前の問題として、現在の原発は、発電後に発生する危険な使用済み核燃料棒を処理できないという、システム上の大欠陥がある。いままで、この不完全なシステムで稼働していた為、すでに国内に1万4千トンの使用済み核燃料がたまっており、その殆どが各原発内に保管されたままの状況である。福島第1原発の事故でも、核燃料プール内に保管されていた大量の核廃棄物が非常に危険な状態にさらされた事は記憶にあたらしい。

  本来、これらの使用済み核燃料棒は、青森県六ヶ所村に建設された再処理工場で再処理されるはずであった。しかし、度重なる事故や不具合等で、その目途は一向に立っていない。そんな状況の中、原発が全稼働すれば年間約1千トンは排出されるという。そんな取り返しのつかない重大な問題が公(おおやけ)にされず、そんなズサンな状況が継続されていたとは信じがたい事だ。

  結局のところ、原発の割合がどうであろうが、核燃料を処分しなければならない。現状は地中直接処分(地中遥か深く、しかも放射能が無害になるまで10万年間管理するという現実を超越した方法)の方向で検討されているが、その処分地の目途は立っていない。一般廃棄物の処分場でさえ、住民の反対で設置ができないのに、危険極まりない高レベル放射性廃棄物を、だれが受け付けようか。この問題の解決だけでも数十年かかりそうだ。

  まだ相変わらず産業界では日本のエネルギー不足を懸念しているが、そうした次元で判断するべきではなさそうだ。たとえエネルギーが高騰しても、原子力は使うべきでないというのが、即結論だと思う。

  あとは、政府が「原発ゼロ」をしっかり表明し、それに向けた対策案を整え、国民への協力を呼びかけていくしかない。国民の「原発ゼロ」は、そうした政治を望んでいるのではないか。


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今年の夏、東京電力管内は原発ゼロの実証実験だ。 [環境・自然]

  連日30度を超える猛暑が続いている。それでも、東京電力、関西電力の電力需給量は約85%。おおむね安定している。

  振り返れば昨年の夏、計画停電がいつ実施されるか、毎日のニュースで使用電力量を観ながらヒヤヒヤしていたのを思い出す。あの時も確かピーク時に85%くらいで推移していた記憶がある。不思議だが危険水域を越えることは無い。国民の節電努力の賜物か、それとも電力会社の懸命な働きか。いずれにしても、混乱なく過ごせることはありがたい。

  しかし、産業界では危機感が強い。電力不足やエネルギーの値上げが続けば、日本経済や国民生活は致命的な大打撃を受ける。早い段階で原発再稼働すべしとの主張を繰り返している。橋下大阪知事もそうした声を無視できず、結局、大飯原発の再稼働を認めざるを得なかった。 

  現在、殆どの原発は休止状態で、国全体の電力は火力発電で大半を補っている。いまのところ、資源の確保や高騰で大きな問題は生じていないが、これから先どうなるか、誰も予測できていない。ただ、厳しい状況が待っているのは間違いないだろう。

  いま、政府では2030年後の原発比率をどのくらいにするか、国民を交えた調査を実施している。それを踏まえて、日本のエネルギー政策を進めていくようだ。けれど、どうもしっくりいかないところがある。電力会社から、きちんと電力需給の実態データがでてきているのか。供給者側の論理でどこかぼかされているのではないか。そんな疑いを抱いてしまう。 

  今年の夏、東京電力管内は事実上原発ゼロである。少なくとも、この状況下でのテデータを第三者機関家がしっかり分析して、それを国民に提示することが大事である。公正なデータがなければ正しい判断はできない。

  一方、国民にもある程度覚悟は必要である。「原発は嫌だ。」「エネルギー不足は困る。経済が悪化してはいけない。」「電気代の値上げは生活に影響があるからダメ。」 こんな主張ばかりしていれば政策はまとまらず、結局、役人や電力会社ペースで、その中間あたりの落としどころで話が決まってしまう。そうならない為にも、何が大事かをしっかり考えなければならない。

  将来、高齢化がさらに進み、ますます厳しい社会が待ち受けている。この目標ターゲットの2030年、大きな政策転換を考えれば、それほど時間はない。ある経済予測では、その年代の日本のGDPはインドに抜かれ、インドネシア等の途上国にも脅かされるほどと言われている。いつまでも豊かな国が続くというのは夢物語、そろそろ目を覚ます時期に来ている。

  3.11で、人類は原子力を扱うことの難しさを思い知らされた。恐ろしい核は戦争に使う爆弾だけではなく、平和利用の原子力発電も同じ類であることを多くの人が認識したはずである。ひとたび核が牙を剥き出せば、理屈に関係なく、どちらも同じ「核」なのだ。そうした中で、唯一の被爆国である日本が、世界に唱える核廃絶には、「原発廃止」を入れるのが筋ではないだろうか。そうなれば、必然的に原発比率はゼロにしなければならない。これが日本の選択すべき道と信じる。

  東日本大震災以降、日本はまだ苦しい状況が続くが、さらにいばらの道を進むことは、日本にとって決して間違った選択ではない。未来の子供たちが幸せに暮らせる社会づくりこそ、現役世代である我々の責務といえよう。


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LED照明は蛍光灯、白熱球に替われるか。 [環境・自然]

  電力不足、電気代値上げなどにより、節電の取組が一層求められる中、その切り札としてLED照明に大きな注目が集まっている。このLEDの歴史はまだ新しく、ローソンが業界に先駆け、店舗照明をLED化して世間を驚かせたのは2009年、まだ3年前のことである。それから、この分野の技術革新や普及は目覚しい。いまでは新築やリニューアル物件の多くにLED照明が採用されている。

     はたして、このLED、どんなに優れものなのだろうか。よく言われている特徴は、消費電力の低さだ。従来型の白熱電球60Wに対して、同じ明るさの電球型蛍光は12W、さらにLED電球では7W、なんと白熱球の8分の1である。また、耐久面では、蛍光灯の10倍、白熱ランプの約40倍の長寿命ある。それだけで比較すれば圧倒的にLEDが得である。しかし、コストが高い。60Wの白熱電球は130円、同等の蛍光灯は700円、LEDは2100円とズバ抜けている。でも、このイニシャルコストもランプ交換を加味すれば数年で回収でき、経済性においてもメリットがでてくる。

  では、LED照明は本当に白熱電球や蛍光灯に替わることができるのか。これはなんとも言えない。話によると白熱ランプは、数年を目処に全世界で製造が終了されるらしい。蛍光灯もLEDに劣らず優れた商品であるが、やがてはこの技術革新の波に呑み込まれる運命にありそうだ。

   ところで、ここまでLEDの良い面ばかりあげてきたが、なにか他に問題点はないのか。ひとつは「まぶしさ(グレア)」。蛍光灯や白熱球のような柔らか拡散光ではなく、目にキツイ光である。最近は商品のバリエーションも増え、配光性、演色性もだいぶ良くなってきた。いずれはこの問題も、技術的に解消しそうだ。

  もうひとつは「熱」。LEDの最大の弱点だそうだ。効率が非常に高いものと言われているが、実は電気の約30%を排熱として放散している。この熱を上手く逃がさないと、LED内部の回路にダメージを与えてしまうらしい。LEDの寿命は発光体でなく、その回路部分で決まるようだ。無名メーカーの商品で、寿命が8万時間、10万時間という表示を見かけるが、実用化されてまだそんな時間が経っていない。大手メーカーが一律表示している4万時間がやはり妥当だ。誇大表示に騙されてはいけない。

   さて、こうした様々な特徴、特質の中で、LEDと従来のランプと決定的に違うところは何か。それは、自由な形状の照明(ランプ)を製作できることだろう。粒状の発光体を集めてできているので、ベース部分の形状を変えることで、さまざまな形に対応できる。蛍光灯や白熱球は基本的にガラス管を真空引きしてつくられるので、その大きさ、形状は機能的に決まってしまう。つまり、LEDでは建物の形状に合わせたオーダーメイドも可能で、照明計画の可能性を大きく広げることができる。

  それから、もう一つ。様々な発光体を組み合わせることで、光の演出ができる。たとえば朝はスッキリした白色、夕方はリラックスできるように暖色系の色にするなど、雰囲気に合わせた光環境を作り出すことができる。また、LEDはデジタルなので制御性が良く、明るさなどの調光と合わせるとその応用範囲は広い。こうした面もLEDの大きな特長であろう。

  まだ始まったばかりのLED技術、次に有機EL照明なども商品化されつつある。光る天井や壁が当たり前の時代がやってくるかもしれない。今後、照明技術が大きく転換し、我々の生活空間はガラリと変わる、そんな時代がすぐそこに来ているような気がする。


タグ:LED 省エネ
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エネルギーの見える化、BEMS、今年はスマート技術元年だ。 [環境・自然]

  省エネルギー、節電の意識が高まる中、「エネルギーの見える化技術」が普及し始めている。べムス(BEMS)と呼ばれているもので、Bilding Energy Manegment Systemの略称である。このシステムの特徴は、建物の電力量をリアルタイムで計測し、「いつ、どこで、どれだけ、何にエネルギーを消費しているか」を把握できること、さらに電力を使い過ぎた場合には、空調や照明機器などを制御して、消費電力を抑えることができることだ。

  こうしたシステムは昔から存在するが、ハード、ソフト面での通信方式がバラバラで、それを統合するのに膨大な費用が必要であった。しかしながら、インターネット等のIT技術が発達し、通信の規格化、システムの簡略化、そしてコスト面でも大幅に低下し、もう特別な技術ではなく、汎用技術の域なった。

  現在、契約電力50kw以上、500Kw未満の高圧小口需要家を対象に、「BEMSアグリゲータ」という補助金制度が創設され、その普及に国が本腰に力を入れていることもうかがえる。この聞きなれないBEMSという言葉も、そのうち、太陽光発電や風力発電と同様に、新しいエネルギー政策に欠かせない省エネ・節電技術として国民に知れ渡りそうだ。

  このBEMSは、ハード技術のように見えるが、実はサービス技術ととらえた方が正しい。まず、各箇所の電力エネルギー使用量を計測し、そのデータをクラウド(次世代コンピュータサービス)を通じて、日別、月別、あるいは使用箇所別などにわかりやすく分析し、エネルギー管理支援サービスとして、補助対象者(ビルオーナー等)に提供する。有償サービスで、大体1~2万円/月程度の料金がかかる。

  けれども、このシステムを採用することで、デマンド制御(電力のピークカット)やエネルギーの見える化で、エネルギー削減効果を出しやすくなり、結果的に大幅な節電・コストダウンにつながる。このシステムを採用するには10%以上の節電達成が条件であるが、それ以上も十分可能だ。

  いま、スマートシティー、スマートグリットなど呼ばれている壮大な電力網計画も、このBEMSのような小さなエネルギー見える化技術がベースにあってこそ成り立つものである。まさに新しいエネルギー時代の第一歩と言えそうだ。


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金環日食、ス-パームーン、自然災害との因果関係は? [環境・自然]

 5月21日、日本でも金環日食が観られる。173年ぶりらしい。太陽が月の影にすっぽり隠れ、リング状に見える、いわゆる皆既日食を、この目で直接観られるとは思っていなかった。

 つい先日はスーパームーン(月が地球に最も近づく状態)で、月がいつもよりも明るく、はっきり見えた。買ったばかりのニコンのデジカメCOOLPIX P510で写してみると結構いい感じで撮れた。

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スーパームーン 5月7日撮影

  こういう現象が1年に2つもあことは奇跡的なことだ。古代から、日食やスーパームーンは不吉の予兆とされ、あまり良いイメージはない。現代の我々は、これを単なる太陽と地球と月の軌道の位置関係から起こる現象と理解しているため、そうした迷信的な観念はない。けれど、最近の頻繁に起きる地震や竜巻、そしてゲリラ豪雨などの自然界の異常現象は、科学的にすっきり説明されていない。地球温暖化によるものか、あるいは地球の周期的な活動、それとも月と地球の引力の関係か、いずれにしても、決定的な答えではない。

  NHK特番「宇宙の渚」の第2集「天空の女神 オーロラ」の予告に、オーロラは太陽からの危険粒子が地球の大気に激しく打ち寄せられた時、大気が光る現象で、今年から来年にかけて、大規模なオーロラが見られると書かれていた。オーロラの美しさと裏腹に、宇宙レベルでは激しい攻防があるという。これも異常現象の原因の1つに数えられそうだ。

  金環日食に、スーパームーン、それに巨大オーロラ、これらがすべて揃う年というのも、すごい確率である。何かが起きても不思議ではないかもしれない。そういえば、マヤ歴では、今年2012年が最後の年という。それも偶然か。やはり不気味な年である。

  何も起こらないことを祈るが、これは天に任せるしかない。でも、とにかく用心深く心掛けた方がよさそうだ。


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世界に先駆けて原発ゼロ。もう覚悟を決めて突き進もう。 [環境・自然]

  今日、国内で唯一稼働していた北海道電力の泊原発3号機が定期点検のため、休止に入る。気が付けば、日本は世界に先駆けて、原発ゼロの国になった。

  東日本大震災前は54機稼働し、原子力の発電割合は31%。それが、わずか1年を過ぎて0%。いまのところ、生活や産業にも支障なく足りている。驚くべきことだ。

  原発がない分、火力発電がフル稼働しているというが、それで対応できていること自体が不思議である。原発なしでは、成り立たない国と思っていたが、実際はそうでもない。電力会社は、原発推進のために、やはり電力需給の数値を都合の良く操作していたのか。でなければ、この実態につじつまが合わない。

   いま、停止している原発は稼働の目途が立っていない。ストレステストや点検で安全性を確認されたといっても、その安全性が全然信用されていない。原子力規制庁の発足も見通しが立たず、原子力安全委員がいつまで存続するか見えていない中で、何をもって安全を信じていいのか不安だらけである。さらに電力会社の隠ぺい体質と利益優先主義には、国民もすっかり嫌気がさしている。だから、いくら再稼働の必要性を説明されても、素直に耳を傾けることはできない。そうした中、原発地元住民から、再稼働の同意を得ることは極めて難しい。もう日本の世論は脱原発に大きくシフトしている。個人的には原発を段階的に収束させ、時間をかけてすべて廃止にする方法が最もベターだと考えているが、いきなり大目標に飛び込むのもいい。使用しない核燃料をどう処理していくか、難題は残るがひとつの選択肢だ。

  再稼働問題、ここまで来ると、この夏は稼働できる原発が1機もないかもしれない。かなり、厳しい状況になる。

  一か八かで、原発ゼロのまま、夏に突入するのもよかろう。電力不足による経済的リスクや不便さは出てくるかもしれない、しかし、知恵を絞り、覚悟を持って突き進めば、新たな展開も見い出せるだろう。

  再生可能エネルギーも、危機的状況の中でなければ、なかなか促進できない。むしろ、この状況はチャンスともいえる。太陽光、風力、地熱、揚水発電、様々な発電技術、蓄電技術があり、すべてにおいて日本は世界のトップ水準にある。これを育てるのが、現在の日本にとって一番の得策と思う。果たして、政治は最終的にどう判断するか、一番覚悟がないのは政治家である。中途半端に突き進んでほしくないものだ。


タグ:脱原発
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原発収束(廃止)と核燃料処理の確立、そして再生可能エネルギーの推進の同時進行が重要。 [環境・自然]

  脱原子力発電として太陽光発電や風力発電に期待が寄せられている。しかし、現状は普及に思うほど力が入っていない。

 今年の7月に、再生可能エネルギーの法案が採択される。だが、その全容はいまだ見えてこない。おそらく、業界団体の抵抗や思惑、財源をめぐる駆け引きなどで足踏みし、未来に向けた前向き議論が進んでない様子が目に浮かんでくる。新聞をはじめ多くのメディアは、連日原発再稼働の賛否ばかりを報じていが、こちらも、日本の深刻なエネルギー問題を真剣に論評しているとはいえない。 そうした中、エネルギー不足と放射能問題で、国民の不安は増大する一方だ。

   原発の再稼働については、地元知事の殆どは政府の姿勢に反旗を翻し、反対を唱えている。確かに、万全な安全確認、地域住民の理解と納得はもっともであるが、安全基準や安全確認の手続きの疑念などの訴えは、再稼動阻止するための主張にしか聞こえない。いま日本の置かれている状況とは相当ギャップがある。例えれば、食べ物に飢えて死にそうな状況の中、より安全な食べ物の議論をしているようなものだ。 また、技術的な面からしても矛盾がある。原子炉の運転を止めることで、少しでも安全になるなら話は分かるが、核燃料は一度使用を始めたら最後、その破壊的エネルギーを止めることはできない。ただ冷やすか、それとも発電しながら冷やすか、いずれにしてもメトルダウンを防ぐには、冷却し続けなければならない。それも、火力発電のエネルギーを使わなければならない。とても馬鹿な話だ。 さらに稼働停止が長く続けば、管理体制にも運転時のような人件費をかけられない。そうなれば安全管理体制にもゆるみがでくる可能性すらある。どちらが本当に安全なのか、大いに疑問である。

  そうした現実を踏まえると、ただ再稼働反対だけでは問題解決にはならない。つまり、原子力発電所内にある核燃料の数をいかに減らし、安全リスクを高めかが、最も重要なことだ。したがって、核燃料の処理方法の確立と原発の段階的収束(廃止)の両輪で議論していかなければ、本当の安全は絵に描いた餅といえる。

  以上、原発の安全性について述べてきたが、原発反対(廃止)はすでに国民の総意と考えてよい。原発がダメならば、太陽光や風力、地熱、そして蓄電池技術を早く確立するべきだ。特に不安定な自然エネルギーはまず蓄電して、安定させてから使う方が好ましい。自動車産業では燃料電池競争が激化しているが、発電所レベルの大規模蓄電の話はあまり聞こえてこない。国を挙げて電力の大備蓄計画を進めるべきと思う。日本の国力、技術力があれば決して不可能ではないはずだ。また、スマートグリットなど、効率的な配電網の整備や自動車の燃料電池を使用したシステムなど新しい展開をしなければ、現状のエネルギー問題の解決の糸口は見い出すことは難しい。

  日本は石油という資源はないが、太陽、風、地熱といった自然資源には大いに恵まれている。また、全方位が海という環境もメリットとして活かせるはずだ。そういった、エネルギービジョンを政府が早く示してくれれば、国民も将来の希望がもて、また頑張る目標ができる。政治はその役割を果たしてもらいたい。


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大気イオン濃度の上昇が異常。地震が心配だ。 [環境・自然]

  今日は、11月中旬にもかかわらず、台風のような大雨である。雨量も半端ではない。こんなに降り続くと、どこかの街で川が氾濫しているのではないかと心配になる。

  しかし、この時期にこのような雨はあまり記憶にない。異常気象も年々、度を増している。やはり、地球温暖化による影響が出始めているのだろうか。

  このところ、もうひとつ気になることがある。 ・・・ 「地震」である。

  ネットで大気中のイオン濃度の変化で地震予知するサイト「NPO法人大気イオン研究会」がある。これを見ると、最近の長野地区のイオン濃度は異常に高い。東日本大震災の時も、やはり異常数値を示していたらしいが、このところの数値は特に気がかりだ。

  大気イオン濃度による地震予知の信憑性は、学会の評価も分かれているようで、はっきり言ってよく分からない。でも、これといって確実な地震予知方法が無い中では、ひとつの目安といえる。

  そもそも、イオン濃度による地震予知とはどのようなものか、その原理は結構興味深いものである。概略の説明では、プレートが動くと地殻に圧力がかかり亀裂が生じて、ラドンなどの放射性物質が放出される。そのラドンが大気に触れるとプラスイオンが発生し、地表に降り注ぐ。そのイオン濃度を測ることによって、地殻で大きな変動を察知し、地震の前兆を予測するということらしい。私のような素人には説得性の高いものだ。

  今回、イオン濃度が上昇している長野界隈は、3つの大陸プレートがぶつかり合い、エネルギーの溜まりそうな場所でもある。それゆえにイオン濃度も発生しやすい地域ともいえる。これまで比較的低い数値だったのに、急に上昇しているということは地殻の変動が活発化している証だろうか。最近、テレビを観ていると地震速報の回数も増えている。マグネチュード3~4くらいの地震は、常に日本のどこかで頻発している。いつか、ドカーンと大きいのが来そうな、そんな気がしてならず、非常に不安が募る。

  異常気象に、大地震、本当に過酷な環境を覚悟しなければならない時代なのか。とにかく、人間の力で防ぐことはできない。そうなった時の備えを十分するしかない。東日本大震災から時間が経ち、気持ちにも、少し緩みがちになっている人も多いのではないか。身の回りを点検と防災用品をチェック、そして、災害に対する心構えを、もう一度仕切り直すことも必要であろう。


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殺伐とした街から、美しい紅葉を味わえる街づくりをしてほしい。 [環境・自然]

  紅葉の美しい季節になった。近くの公園でも、赤や黄色、オレンジに彩られ、ちょっと観光地的な風情を醸し出している。日本の四季はすばらしい。春の桜、夏の深い緑、そして秋の紅葉に、冬の落葉、そして、厳しい寒さが過ぎると新芽が顔を出し、再び花の香りいっぱいの季節になる。四季折々の中、自然は我々にいろいろなことを語りかけて、優しくつつみ込んでくれている。そんな自然を大事にしていかなければいけない。

  しかしながら、家の周辺でも、次々に緑が奪われている。つい最近まで雑木林の場所が、いつの間に、すべて伐採されて更地になり、建設計画の看板がポツンと立っていた。ここの雑木林にはうぐいすが住み着いており、住宅街でも珍しく、ホーホケキョを聞くことができた。でも、もう鳥たちが住めるところはない。どこへ行ってしまったのだろう。すごく、残念でたまらない。

  公園に行けば、多少木々もあり、紅葉を楽しむことができる。でも、街中にいると季節の感覚を失ってしまう。今は、絶好の紅葉の季節なのに、普段それを感じられるところが少ない。

  街では、相変わらずマンション建設が目立つ。どれも、住みやすい建物なのかもしれないが、周囲の景観には全くそぐわず、地域性などは微塵も感じられない。工業製品のようにデザインが画一化され、見栄えと経済性が重視された造りだ。建物の周りには若干の樹木が植えられているが、おそらく都市計画上決められた最低限の植栽が施されているだけであろう。これには、四季折々を楽しむようなものではない。でも、無いよりはマシだ。

  それから、街の道路にも樹木が少ない。幹線道路などには多少植えられているが、いずれも窮屈そうで、枝が電線と接触しそうなものばかり。そのせいか、枝払いの季節になると、太い幹だけ残され、殆ど伐採されて無残な姿になる。まるで、木を虐待しているかのようで、痛々しくなる。特にけやきの木の伐採姿はひどい。

  日本は、四季折々の美しく、すばらしい自然の宝を持っているのにもかかわらず、それいじめている。どうして、最大限、自然を活かすことができないのだろうか。結局、経済効果という、つまらない評価軸ですべてを測るシステムが、数字で表せない、こうした大事な価値感を蔑(ないがし)ろにしてしまうのだろう。

  まあ、現状は、不動産会社と建設会社が、業績を上げようとすればするほど、街は殺伐とした無機質なコンクリートだらけの風景になっていく。どこかで転換が必要だ。建設会社も不況の中で頑張っているが、現状の経営スタイルでなく、21世紀はやはり環境の時代、今とは違う方向にシフトしてほしいものだ。リニューアル、リサイクル、そして自然との共存、そうした新しいテーマに取り組んでもらいたい。

  その実現のためには、民間だけでなく、やはり行政の力も必要であろう。また、地域住民も、自分たちの街づくりにもっと積極的に参加しても良いと思う。最近、ある街で「木を植える運動」を聞いたことがある。そんなことから、豊かな環境をつくれるかもしれない。時間はかかるとしても、自然に満ちた、秋の紅葉もいっぱい楽しめるような街並みが増えていくことを望みたい。


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多摩ニュータウン、老朽化団地の再生が始まった。 [環境・自然]

  多摩ニュータウンの一角が解体され始めている。当時はこうした建物はマンションとは言わず、団地と呼んでいた。この頃から、室の間取りが2LDKや3LDKで表記され始じめたと思う。 ウィキペディアによると、多摩ニュータウンは、計画面積2892haで、計画人口342,200人、1970年代初頭から開発が始まった、日本最大の住宅開発という。

  1970年といえば約40年、相当な老朽建築物だ。当時の話では、古くさい日本の住宅と違い、西欧風のモダンな生活様式の建物として、若い世代の憧れになっていたらしい。しかし、この40年で人々のライフスタイルや設備機器、それを取り巻く環境は大きく変化したので、この建物に合わせて生活するのは、結構苦しかったのではなかろうか。 現在のマンションは5階建でも必ずエレベータが備えられているが、私の知っている同じ階数の古い団地では歩いて上るしか方法がない。お年寄りには過酷な建物である。

  今は各部屋にテレビや電話、インターネットの差込口があるのが普通であるが、昔は茶の間(リビング)に一箇所。そのほかコンセントも少なかったので、ブレーカーのサイズも小さく、特に設備関連に伴う常識は天と地ほどの違いがある。

  今度、解体された後には14階建ての高層マンションが新築されるらしい。古い建物から一転して、最新の生活様式になる。便利になるが、きっとお金のかかる生活になるだろう。メリット、デメリットは必ず出てくる。

   しかし、このような最新式の建物でも、また40年過ぎれば陳腐化し、同じ事が繰り返されることは必然だ。まあ、建物にも生物と同じような新陳代謝が存在するだろう。ただ、戸建住宅のように簡単にリフォームできるし造りだと助かる。 折角、構造的に頑丈で長持ちしそうな建物でも、時代の変化に適応できないものであっては、あまりにも無駄が多すぎる。ライフスタイルにフレキシブルに対応できる建築が望まれる。それが現在の建築における課題だと思う。

  さらに注文をつけるならば、環境に調和の取れた美しい建物であってほしい。長い年月その場所の風景の一角を占めるのだから、人々に心地よいデザインが望まれる。 なぜ、日本の建物のデザインがバラバラで統一感が無いのか、それは、建物の価値を決める尺度が投資性や経済性にウエイトが置かれすぎているからだ。環境や風土、伝統や歴史、そして美学など、金銭で計りえないが、我々の生きる中で、金銭以外の大切な価値観をもっと前面に出した建築をつくるべきである。

  それを実行できるのが、建築家(計画・設計者)の仕事と思うが、今日の日本では発注者の経済志向が強力すぎて、その意向で計画、設計させられているのがほとんどである。その結果、非経済的な価値観が反映しにくい仕組みになっているようだ。

  したがって、不動産価値の評価尺度を変えなければ、経済優先主義の脱却は難しい。 ただひとつ、市場価値の中で人々がそういう価値観に気づき、強いニーズとして市場に求めれば、デザインも大きく変わる可能性はある。それには消費者の感性がもう少し向上しなければならない。庶民が、もっともっと美的感覚を養わなければ、なかなか変わることはできないだろう。


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日本は世界で一番自然エネルギー源に満ちている国だ。 [環境・自然]

 「豊かな生活を維持するために原発は必要であるか。」

 豊富なエネルギーを持つことが、国の力であり、我々の暮らしを良くするのか。その問いに真摯に向き合う時期にきている。豊かさとは何か。GDPが高いことなのかと。

 原発事故から6か月、国民の原発に対する意識調査では、いまだ約3割の人たちが原発維持を支持している。この結果を観るとまだ安全神話が根底から崩れていない。

 恐らく、現在の福島原発の事故処理も、政府と東電が責任を持って解決し、さらに今回の事故を教訓にすれば、より安全なものを構築することも可能だと信じている人が多いのでは。

 もし、それがまた裏切られれば、状況は一転し、支持派限りなくゼロになるだろう。しかし、そうならない期待値を多く持ち過ぎているのではないか。

 原発事故発生の確率を、自然災害あるいは人為的災害も含めて検証してみてはどうだろう。ゼロという数字はまずありえない。例えば100年に1回放射能漏れを起こす事故が発生するという条件で、あなたは原発維持を支持しますかと問われれば何と答えるか。100年ならば自分が生きているうちには起きそうである。いや、たとえ自分でなく、子供達、その子孫が不幸な目に遭うと考えるならば、YESとは決して言えない。

 日本は四方海に囲まれ、温暖な気候、山林、水にも豊富にあり、世界でも自然に恵まれた環境にある。地震、台風、豪雪、豪雨など厳しさ、過酷さもあるが、ある意味でよろずの自然エネルギーが満ちた国と言えよう。なぜ、この自然の幸を上手く使えないか。

 いま、地震、津波で破壊された東北の各地をゼロから復旧・復興しようと立ち上がっている。同じようにエネルギー政策もゼロからやり直していい。もはや電力会社に任せていられないことは明白な事実である。

 エネルギー産業は実はすそ野が広い。たとえば蓄電池も、自動車用、家庭用、事務所ビルや工場用、そして国家備蓄用が考えられるし、送電線技術もスマートグリットや超電導技術を駆使してロスを無くしたり、また太陽光発電も何処にでも張りつけられるようなシールタイプや建築素材そのものを発電材にする技術、また地熱、風力、波動、振動発電など、夢のような技術が限りなくありそうだ。

 いろいろ弾みがつけば、原発分ぐらいすぐ賄えるのではないだろうか。専門家がいつもグラフで取り上げる水力、石炭、天然ガス、原子力、再生エネルギー(自然エネルギー)など旧来の尺度で測ってはいけない。わずか10年で誰が薄型テレビと携帯電話の普及を予測できただろうか。専門家の予想はことごとく外れる。エネルギー政策は国家計画的発想でなく、ビジネス的視点も取り入れて捉えた方がいい。

 その政府の2030年の発電予測では再生可能エネルギーが30%で、原発が無ければ火力発電主体である。そんな未来技術を否定した化石的発想の予測は意味が無く、国民の判断を狂わせるだけだ。

 野田内閣はエネルギー政策について、2030年に思いっきり原発をゼロ目標に置き、未来に向かって果敢に取り組む姿勢で臨んでもらいたい。日本は目標さえ決まれば、力が湧いてくる国である。是非、そうした方向性で頑張ってもらいたいものである。


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原子力発電は「トイレのない、肥ダメ付き最新式マンション」。 [環境・自然]

 原発事故から5カ月近くが経つが、いまだに放射能汚染の実態がつかめていない。いまごろ現場周辺で1万シーベルトを超える高い放射線量が見つかり、大気中にずっと放出され続けていたことが明らかになった。

 ただ、国民はそれを聞いても、何がどうなっているのか、どうすればいいのか思考停止状態になっている。間違いなく、「やばい状況」が続いているのにもかかわらず、原発を止めようという声がいまだ高まらない。実に不思議な国だ。

 先日、テレビで、ある専門家が原子力発電をたとえるならば、「トイレのないマンション」と言っていた。まさに、その表現はピッタリである。さらに付け加えるならば、「トイレがなく、肥ダメを置いたマンション」の方が正確かもしれない。

 原子力発電で最大の問題は、使用済み核燃料を処理するシステムがまったく確立されていないことにある。今回の福島の事故ではじめて知ったが、各原子炉には核燃料プールが設置され、そこにこれまでの使用された数多くの核燃料棒が保管されているではないか。使用済みと言えども、高濃度の放射能を撒き散らす極めて危険なもの。つまり、危険リスクがどんどん増大していく仕組みになっているのだ。

 先の例で言うと、マンションに備えられた肥ダメの中に強烈なにおいのする汚物をいっぱいため続けていたが、突然の大地震で、その肥ダメが壊れて、家中に汚物が垂れ流れてしまった。そんな悪夢の状況と同じである。でも、そんな危ないマンションでも、それを支持する住民がまだまだいる。たとえリスクがあっても、広くて最新式の快適さを手放せない、それが原発推進派、維持派のスタンスであろう。

 脱原発、減原発に対しても、論点の中心に経済や便利な生活が優先され、安全や環境が二番目に置かれているように思える。経済一等国を維持することよりも、美しい自然や人間の命を守ることを最上位に置かなければ健全な考えとは言えないと思う。

 また、経済重視の主張も、原子力や石油が暴騰し、手に入らなくなっては、その前提も崩れる。それよりも、この危機を契機に、国民に苦痛を強いることになるかもしれないが、「再生可能エネルギー」という人類初めてのチャレンジに、日本が先駆けて突き進むのもいいではないか。

 まず、政府が先頭に立ち、自治体、企業、大学が続き、国民全体も協力する。日本が総力を出し切れば、必ず上手くいくと信じる。だが、そのためには、国民の勇気と覚悟、それに政治の決断が必要である。国民的な大議論がまさに必要な時期に来たのではないだろうか。


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今年は水難の年だ。 [環境・自然]

 昨日も豪雨が新潟、福島を襲った。1時間あたり100mmを超えているという。

 ひと昔は時間50mm以上の雨を集中豪雨と呼んでいたが、いまでは集中という言葉が消えて「豪雨」になっている。最近では集中した地域、集中した時間というのも当てはまらない。範囲は広く、いつまでも降り続く。1日の降雨量が1000mm(1メートル)を越す話も珍しくない。

 当然、川の氾濫や土砂崩れを伴い、家屋などの甚大な被害は目を覆うばかりだ。自分の記憶では、昔は台風が来ない限り、このような水の被害はなかったように思える。いまは、どちらかというと台風以外の気象状況からくる豪雨の方が猛威がある。年々大気にエネルギーが蓄積されてきているようだ。これが温暖化現象の表れなのか。

 しかし、今年の日本は水難の年である。地震による津波、豪雨による川の氾濫。水に囲まれ、水が豊富にあるがゆえに起きる自然災害だ。

 近年、都市土木の技術が進歩して、現代人は自然に対する畏敬の念を忘れつつある。まるで、自然を自分たちの意のままに封じ込め、それで安全が確保できていると思っているかのようだ。

 先の津波で何の役にも立たなかったスーパー堤防もその一つ。ダムも川の治水も想定を超える豪雨の前にはほとんど無力な状況である。 いま、地方に被害が集中しているが、本当に無防備なのは都会である。

 川沿いにはマンションが立ち並び、斜面は切り刻んで宅地が造成されている。本来、雨水を吸収すべき大地はほとんどアスファルトに覆われて、溢れた水は行き場を失っている。かつ、土地利用の面で東京中の地下は掘り続けられ、地下商業施設や日常の交通インフラの重要な役割を果たしている地下鉄など、ひとたび水害にあったらどうなるのか。想像の域を超えてしまう。

 まだ、本格的な都市水害の被害は無いが、いずれ必ずやって来る。起こる前はどうして良いか分らず、物事が経済優先で進む。しかし、起こってからではすべてが遅い。

 自然を抑え込むのではなく、自然との共存。それは自然の脅威を認識し、それを受け入れる考えが必要だ。だから、津波や川の氾濫はあって当たり前なのだ。それを否定した都市づくりは、先の福島原発事故の二の舞を招く。国土の狭い日本、現実的には難しいが、この難題を真摯に直面しなければならないだろう。

 昔から、人の住まないところは、新たに住むべきでないという話がある。地名を観ると、沢、谷、淵、沼、浦など水に関わる名称がつく場所は、やはり水の危険の隣り合わせにあることが多い。やはり、居住する時にそうしたことも注意することも、自分で自分を守る一つの目安だ。

 国による防災対策はもちろん重要であるが、それ以前に、ひとりひとりの防災に対する自覚も、国全体の防災意識を大きく左右させるだろう。そうした社会になっていかなければならない。


タグ:水難 豪雨
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地震、放射能?今年は蝉やハチが少な過ぎる。 [環境・自然]

 7月も終わりに近づいているが、蝉の鳴き声が聞こえない。

 毎年、この頃になると「ミンミン」「ジージー」うるさいはずなのだが、今年は妙に静かだ。それから、もうひとつ、わが家にはキンカンの木が植わっており、この時期に花がいっぱい咲く。その周りにはうるさいほど、ハチが飛びまわるのだが、これも不思議にほとんど見当たらない。いったい虫たちはどこへ行ったのだろう。

 例年よりも、いまのところ暑い日が少ないかもしれないが、ちょっと変だ。単なる気象のせいならばよいが・・・。

 最近、また小さな地震が頻発しているが、これも嫌な予感が頭をよぎる。大地震の前には、虫や動物たちの異常な行動が報告されているからだ。

 また、福島原発からの放射能汚染も想像以上に範囲の拡大し、様々なところからセシウムが検出されているのも引っかかる。人間には微量な放射線でも、小さな生物には、莫大な影響があるかもしれない。いや、小さな生物に影響があるならば、人間にもやはり問題があるはずだ。心配の種は尽きない。

 考えすぎかもしれないが、虫たちの少なさを不思議に思うのは私だけだろうか・・・。


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塗る太陽電池の実用化。普及に弾みがつく画期的な技術だ。 [環境・自然]

 今日の夕刊に、建物の壁や車のボディにも使える「塗る太陽電池」の実用化の記事が出ていた。2013年にも市場に出回るとのことだ。

 変換効率は、通常の太陽光パネルだと20%程度であるが、試作品では10%を超える性能を実現できたという。凄いのは、厚さが1mm弱で、重さは1/10、曲がったところにも使うことができ、衣類などにも適用できるらしい。製造工程も単純らしく、量産が進めば、製造費を従来の1/10程度に引き下げられるというから、普及にすごく弾みがつきそうだ。

 現在の太陽光パネルでは、たとえ効率が良くても設置場所に制約が多すぎて、なかなか普及が難しかった。それを完全に打破する技術開発である。

 この太陽光発電技術をベースに、蓄電技術、それに省エネルギー技術が進めば、現状の原発依存のエネルギー政策から脱却できそうだ。技術開発のスピードは速い。むしろ、あと20年後は、原発がゼロになっても、電力が余るぐらいになるのではないかと思う。

 世界でトップクラスの原子力発電の技術を捨てることには、大きな決断が必要である。しかし、その未練を断ち切り、新しい技術へ全力疾走するのも、日本の国策としてはメリットが高いように思える。

 それに、こうした技術が日本にまだまだ潜在しており、本当の日本の実力が計り切れていないような気がする。また、現時点で困難と思える技術も、わずかの間に次々とクリアされている。薄型テレビも世の中にデビューして、まだ10年足らずであるが、現在、市場の100%を占める。誰がこの状況を想像できただろうか。

 政府も経済界も、足元ばかりみて、石橋を叩くのはいいけど、思い切って進むことも大切だ。いよいよ国会で再生可能エネルギーの法案の審議に入る。従来の既成概念にとらわれず、新しい発想で、希望の持てるエネルギー政策の道筋をつくってもらいたい。


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公園のハトも熱中症? [環境・自然]

 各地で梅雨明けし、夏本番を迎えようとしている。今日は朝から日差しが強く、体にジリジリと焼きつく感じだ。

  いつものように公園を一周散歩する途中、ちょっと面白い光景を出会った。鳩たちがあまりの暑さのせいか、木陰で座り込んでいる。たくさんの鳩が写真のようにグッタリ、マッタリしていると、とても異様な雰囲気である。普通ならば近づくと直ぐに飛び去ってしまうところだが、携帯カメラを片手に近づいてみても逃げようとしない。本当に暑さで鈍感になっているようだ。人間だけでなく、こんな鳥たちまでも夏バテなのか。

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 とにかく今日は半端な暑さではない。公園内の木陰にあるベンチを探し、ほっと一息したが、周囲を見回した瞬間、思わず「こりゃー大変だ」と呟いてしまった。

 というのは、この炎天下の中、駐車場でおじさんたちが麦わら帽子をかぶり、タオルで汗を拭きながら、車の誘導をしているではないか。みんな年配の方ばかり、おそらくシルバー人材センター(高齢者雇用)から派遣されて働いている人たちのようで、顔を観るとすでに真っ赤に日焼けしている。こんな暑さの中、無理してやる仕事でもないと思うが、この年代の人たちはサボるような真似はできないのだろう。とにかく全員一生懸命だ。

 こういう人たちのためにも、外気温度30℃以上は、原則として外の仕事を中止するぐらいのルールを作った方が良い。基本的には自己管理であるが、熱中症になってからでは遅すぎる。あまり無理をしないようにしてほしい。

 これから2ヶ月はこんな日が続く。電力を抑えながら本当に乗り越えられるのか、動物も人間も試練の日々が続きそうだ。


タグ:夏バテ
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福島原発事故から3カ月。これからがみんなの試練だ。 [環境・自然]

東日本大震災から3カ月が過ぎた。

 映像で観る被災地の姿は、震災直後からあまり変わっていない。不明者の確認も進まず、助かった人達も、家族や住居、そして仕事を失い、深い心の傷と苦しい生活から、いまだ開放されていない。

 福島原発事故も日を追うごとに、状況は不気味に推移している。当初は原発事故の国際評価尺度「レベル6」で、米国のスリースマイル(レベル5)より重いが、旧ソ連のチェルノブイリの最悪の「レベル7」まで至っていなく、核燃料棒さえ冷やせば何とかなる雰囲気で報じられてきた。しかし、実際は「レベル7」まで引き上げられ、いまではメトルダウンではなく、どうやらメトルスルーが起きているという事らしい。つまり、核燃料棒は完全溶けて塊になっているようだ。

 これ以上の事態は軽々に口に出してはいけないのだろうが、最悪の再臨界に触れなくてはならない時期に差し掛かっている気がする。そうなれば「東日本に人が住めなくなる」という誰かの発言も現実味を帯び、非常にやばい。

 いま、様々な地域で自治体や企業、個人などが放射能値を調べている。福島周辺ばかり心配していたが、関東地方でも数値が結構高いようだ。テレビの報道番組で、記憶では千葉県か栃木県だったと思うが、測定器を個人的に手に入れた主婦が、住まい周辺をあちらこちら計測した結果、こどもを安心して遊ばせるところが、どこにもないという話をしていた。目に見えるものでなく、また直ぐに病状がでるものでないのでピンとこないが、非常に恐ろしい事が目前に迫っているようだ。

 考えてみれば、数百キロ離れた中国の黄砂が日本に飛んでくるぐらいであるから、それより軽い汚染物資が日本全国に広がることは十分考えられる。今現在、原発から新たな汚染物質が排出されていなければよいが、そうでなければ汚染濃度は高くなる一方で、本当に危機的状況である。

 また、原発の汚染水問題も非常に深刻である。核燃料棒を冷やす為に注がれた水は高濃度汚染水となり、オーバーフローしそうな状況にある。現在、高濃度汚染水からゼオライト等で放射性物質を除去して、低濃度汚染の循環水にして再使用する試みが始まっている。だが、これも苦肉の策で、当然新たな汚染廃棄物が排出される。これをどこに処分するのか。でも、今はそんなことも言っていられなさそうだ。

 さらに建物に溜まった汚染水が地下に流出していないかも不安である。地震でひびが入り、そこから地下水脈を通じて広がるとどうなるのか。温泉水から放射性物質が検出されたら、もう東北の温泉は全滅である。そうならないことを願う。

 そんな状況の中、まだ日本のエネルギー政策が喧々諤々である。電力需要量から原子力発電を止めることは考えられないようだ。

 たぶん、いま一番日本で原子力発電を止めたがっている人達は、発電所付近の住民よりも、むしろ東京電力の社員ではないだろうか。東電社員であるがゆえに、世間から厳しい批判に晒され、会社もどうなるかわからない、当然給料やボーナスは激減であろう。さらに放射能の高い現場にだって行かされる可能性もある。何ひとつ良いことがない。

 東電としては、別に電力が足りなくなっても、会社として困ることはない。ただ電力需要者の要求に応えているだけで、いままでは、その要求を公的使命で合わせ続けてきたような感じがする。それなりのソロバンがあったかもしれないが、住民反対の多い原発をここまで増やしたのもかなり無理がある。

 そろそろ、それも分岐点だ。これから猛暑の夏が来る。これからは電力需要者が限りあるエネルギーに合わせなければならない。これまでにないチャレンジが要求される。

 この3カ月、何も進展していないような気がするが、実際はこれからだ。この震災、原発事故を、どれだけの多くの人たちが深刻に受け止め、また、その反省とこれからの日本の未来をどれだけ力強く描けるか、その試練がもう目の前に来ている。


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自然エネルギー、非現実的と言われても本気で挑戦するべきだ。 [環境・自然]

   自然エネルギーの本格的幕開けとなるか。3月11日の東日本大震災、原発事故が、これまで我々が抱いていた概念を180度覆した。まず第一に、原発以外のエネルギー供給を本気で取り組まなければならないと。

  先日のサミットの場で、菅首相は2020年までに自然エネルギーを20%以上、そのためには住宅1000万戸以上の屋根に太陽光パネルを設置すると宣言し、事実上、脱原発へ舵が切られた。

  だが、脱原発も口で言うのは容易いが、太陽光発電で福島原発分を賄おうとすれば、山手線内側すべてに太陽光パネルをを引き詰めなければ同じ発電力を得ることはできないという。それぐらい原子力は巨大なエネルギーであり、現実性を考えれば、いままで原発に傾いていたの理解できないこともない。

  今回の原発事故は、いままでのように経済性や損得の判断だけでは片づけられないものもある。被害があまりにも大きく、回復に途轍もない時間がかかり、さらに放射能汚染という目に見えない恐怖がいつまでも我々の生活を脅かす。震災の大きさは想定外と言われているが、これから、いつまでこの状態が続くのか、これも想定できないことである。

  もっと国民全体が、脱原発に声を大にする必要があり、できることは少しでも実行に移していかなければならない。そんな中、ソフトバンクの孫社長が動いた。メガソーラー構想を立ち上げ、知事連合に協力を仰ぎ、発電事業への参加を宣言した。また、自治体でも神奈川県黒岩知事や埼玉県上田知事は、国がやらなければ地方自ら行動すると、本腰で自然エネルギー計画に乗り出している。この流れが連鎖的に続けば、きっと大きな力になるだろう。

  太陽光パネルの発電効率は、現在25%程度と言われているが、最近、理論的に75%くらいまで高めることが可能という記事を読んだ。パソコンのメモリの集積度が驚異的に向上したのと同様、近い将来に実現可能な技術であろう。また、蓄電池技術、超効率的な送電技術なども確立すれば、総合的にすごい発電システムに展開できる。決して夢物語ではなく、相当近い将来実現されると考えている。

  可能性はいくらでもあると思うが、問題は、あたまの古い政治家、現実のことしかシミュレーションできない評論家たち、そして既存の権益で生きている企業家たちの冷めた考えである。現在もこの脱原発への動きに、冷ややかなブレーキをかけられている。

  鉄鋼王のカーネギーの著書の中で次のような言葉があった。「二人の男が外を見た。一人は地面の泥ばかり眺め、もう一人は空の星を眺めた。」 いまの日本人は泥ばかりながめて、空に星があることさえ忘れている感じだ。

  自然エネルギー発電は、技術的にも、日本社会の現状からも、ハードルが高く、困難さを伴う挑戦である。政治家、実業家は泥ばかり見ていないで、空の星を眺め、そして、それを追いかけてもらいたい。


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節電クールビズ、ファッションも楽しもう。 [環境・自然]

 クールビズが例年より一ヶ月前倒しで実施されることになった。5月半まで、まだ肌寒い日があり、上着はちょっと手放せない。だが、そんな事を言っているうちに、すぐ暑い夏がやってくる。

 今年の夏はいままでと違う。電力需要抑制のため、空調設備における省エネ運転の徹底が求められる。計画停電なしに、この夏を乗り切るために、空調の節電は必要最低条件だ。

  私が会社に入った頃は、まだ冷房があまり普及しておらず、特に真夏の通勤電車は散々だった記憶がある。あの頃は冷房車が珍しく、通常の車両は窓を開けて運転していた。けれど涼しい風が入ってくるわけでもなく、しかも朝の通勤ラッシュ時はギュウギュウの満員電車だ。そんな最悪な環境の中、背広とかばんを抱えて、押しつぶされながらも約1時間の通勤を必死に耐え続けていた。電車を降ると新しいワイシャツはいつも汗びっしょり、いつもその汗臭さを気にしていたのを思い出す。

 また、会社の中も、冷房の効く場所は少なく、みんな団扇(うちわ)や扇子をあおぎながら仕事をしていた。いまは完全冷房の中、外に出ない限り快適な環境で過ごすことができる。わずか数十年で世の中の技術と環境は大きく変わった。

  だからといって昔のように、みんなが暑さを堪(こら)えればいいという話ではない。以前の建築計画には風通しという概念があった。しかし、いまのオフィスビルでは高気密化が進み、開閉できる窓も室全体からすると少なすぎる傾向にある。それらの建物の多くは、快適性を維持するための冷暖房や換気を、すべて電気や機械の力に依存している。そのため、機械が動かなくなった途端、建物の快適性は想像以上に悪化し、室内の暑苦しさ、不快さは昔の建物以上になる可能性がある。

 だから、計画停電になった場合のダメージはすこぶる大きく、単純にガマン、ガマンで過せるものでもない。そうならないためにも、大勢の人たちで極力、節電運動することが大事だ。 クールビズは直接節電に寄与するものではないが、気持ち的には大きな効果があると思う。結果として、みんなの節電運動につながればいいのだ。

  私も、厳しい暑さの中、少しでもラクに動けるクールビズには賛成である。ただ、ちょっと引っかかる点もある。普通の背広姿と違って、クールビズでは服装センスが問われてしまう。服装に無頓着な私には実に面倒なことだ。普通のワイシャツにネクタイを外しただけではだらしないカッコになるし、普段着で仕事場に行くわけにもいかない。結局、それ用の服装を揃えなければならない。毎年、色々買い込んでみるがどうもいまひとつ。根本的にセンスが悪いのかもしれないが、今年もまたチャレンジである。でも、その費用が馬鹿にならない。国では経済活性化対策の1つにあげているようだが、一般サラリーマンには負担が重い。

 しかし、不満ばかり言っていても世の中暗くなるばかり。いまは逆境も楽しまなければならない。クールビズもこの際、大いに楽しむことが大事だ。 昨年、気づいたが、クールビズは意外にその人の個性が表れる。いつも地味と思っていた人がいきなり超ラフなワイシャツ姿で来たり、またセンスの違いを一段と見せる人など、その人のライフスタイルや趣味、こだわりの一端が垣間見える。仕事だけでなく、ちょっとした服装の自由さが、会社を元気づけ、活性化させるきっかけになれば、それは面白い展開だ。何事もプラスに思えばプラスである。これから半年、クールビズで、この夏を楽しむとしよう。


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毎日、天候が不気味だ。地震が起きなければいいが。 [環境・自然]

 春になり、なぜか荒れ模様の天候が続く。今日も朝から雲行きがあやしく、風も強い。低気圧や前線の影響でこのような天気になることはわかる。だが、空を見上げると不気味な雲が忍び寄っている。これは何だろう。

雲.jpg

(写真では表現しきれないが、とても不気味な雲である。でも特に地震はなかった。)

 3月11日に大地震、大津波が発生してから、天候の不安定な日が多い。気のせいだろうか。比較的晴れて穏やかな日も、ちょっと荒れた形の雲が時々ある。こんな雲が出ているときは、もしかしたら、また地震が発生するのではと、嫌な予感が頭をよぎる。

 いまの日本では、まるで地盤下のマグマが沸々と動きだしたのかのように、各地で地震が起きている。東北はほぼ毎日、北海道、茨城、栃木、そして九州の熊本まで地震の震源地が広がり、揺れが止まる日は無い。もっとも恐れている東海、あるいは関東首都圏を中心とする大地震の発生確率はどのくらい高いのか。多分、いつ起きてもおかしくない状態なのだろう。

 いま政府や政治は、原発対策や東北地方の復興に追われているのは仕方がない。しかし、次に起こる他の地域の対策も考えていかなければならない。

 自然の脅威に対して敏感であった昔のひとたちは、この天候を観れば、恐らく大変な危機感を募らせたに違いない。きっと各地でいろいろな祈りを捧げる儀式が行われて、毎日の天候や動物、虫などの動きや気配から、何か起こる前兆を真剣に察知しようとしていた事だろう。

 自然に鈍感になった現代人は、すべての責任を政府や政治のせいにする習慣が身につき、ひとり一人が危険に対してあまりに無防備になったように思える。大都会にいると耐震性のあるビル、安全性に基づいて計画された様々なシステムに囲まれて、何となく安全バリアの中にいる気さえしてくる。

 だが、今回の原発事故で、その概念が全く覆されてしまった。安全の塊のような施設が、いまは観るも無残な姿である。おそらく、首都東京も大地震が起きれば、それ以上の惨状が予想される。先の地震でも浦安地区をはじめ沿岸部埋立地の液状化はひどいものであった。M9.0級の大地震が来たら想像できない状況になりそうだ。

 どうしたら、それを回避することができるか。それに対して、いますぐにでも知恵を絞りださなければならない。また避難場所は確保されているのか。すぐに避難誘導できるのか。そんなことさえ、意外に無頓着のような気がする。一方で東北地方の事を心配していても、やはりどこかで他人ごとなのか。この夏の計画停電の心配ばかりしていて、最も大事なことが欠落しているような気がしてならない。

 何事も起きてからでは遅すぎる。国も地域も、そして個人も、防災に対して、しっかり向き合い、少なくとも命を守れるしくみだけはつくらなければならない。そのためには、いますぐにでも行動しなければ手遅れになるだろう。


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座ってゆったり憩える場所が少なすぎる。 [環境・自然]

 日本は急速なスピードで高齢化が進んでいる。人口の大きな割合を占める団塊の世代もその域に入りつつあるが、まだまだ元気な類である。だが、街の中を見るとやはりお年寄りが多い。近くの公園に行っても、年配の方々のジョギングやウォーキング姿が目立つ。家の中にじっとしてるより、外で体を動かしている方が健康的でいい。大いに結構なことである。

 しかし、この公園で気になる点が1つある。ひと息つけるベンチが少ないことだ。みんな元気に走ったり、歩いたりしているけど、そのコースに休む場所がない。いや、あることはあるが、いい場所にない。公園や施設建物の裏側に面する薄暗い場所、電気の配電盤の前、なぜ、こんなに座りたくない場所ばかりに設置されているのか不思議でならない。ベンチを置くならば、もっと快適な場所を選ぶべきだ。この公園は木々も多く、鳥のさえずりも聞こえるし、コースの途中に様々な花が植えられ、立ち止まりなくなる箇所もある。そんなところを憩いの休息スポットにすべきだ。

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(このベンチの場所は薄暗く、正面は電気の配電盤、ここに座っている人は観たことが無い。もっと雰囲気が良い場所もたくさんあるはずだが・・・)

 そもそも、ここはスポーツ公園としてつくられているから、対象は健康な若い人たちで、どちらかと言えば競技的な運動を前提に計画されていると思われる。だから、このジョキング・ウォーキングコースも、ひたすら走ったり、歩いたりすることしか考えておらず、高齢の方々が、ゆったりとのんびりウォーキングを楽しむという発想はなかったかもしれない。

  ここの場所のみならず日本の公共スペースは、ゆったりできる空間が少なすぎる。そうした場所は無駄なものに捉えられがちだが、その概念は変えていく必要がある。よく外国人から、日本人は忙しそうに働き、歩くのも速いと言われる。これは単に途中でくつろげる場所が無いから、動き続けなければならないという必然性にあるのではないか。だから、都心に出ると、とにかく疲れる。いつも、電車に乗って「やっと座れた」と思うことがしばしばである。

 いまの日本人はみんな疲れ気味だ。若者だって休まなければ疲れる。もっと、憩えるスペースを都市の中につくらなければダメだ。人が集えれば、コミュニュケーションも弾み、もっと活気と元気がでるかもしれない。

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(例えばの事例:横浜市桜木町駅前の大広場、ここは整然として広い空間であるが、ゆったりとくつろげる場所が無い。無機質で味気のない、とてもつまらないスペースである。)

 ただ、ベンチを置くといつの間にか浮浪者たちの居場所になってしまうとの指摘もある。確かに公園のベンチなどは彼らに占拠されているところも多い。だからといって、その理由で、くつろぎ空間をつくらないと言うは、あまりに考え方が後ろ向きである。何か工夫しなければいけない。

 日本の公共空間のゆとりは、ヨーロッパなどに比べると圧倒的に見劣りする。でも文化的、伝統的なものではないと考える。なぜなら日本文化の特徴は「間」にあるからである。たぶん経済至上主義が、その意味が曖昧な「間」の思想を掻き消してしまったのではないか。それならば、もう一度取り戻すことはできるだろう。

 まずは、くつろいで座れる空間づくりからはじめて、「間」のスペースの復活をめざしてみたらどうだろうか。


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省エネルギーは新しい文化や生活価値観を見出すかもしれない。 [環境・自然]

 電力供給不足により、省エネルギー対策は不可避の課題になってしまった。東京電力圏内の生産部門では500KW以上の大口需要家が25%、小口需要家でも20%の法的規制のある節電がはじまる。また、住宅や個人事業でも強制ではないが当然10~15%程度の節電は求められる。電力需要量により目標規制も少し緩くなるかもしれないが、1970年のオイルショック以来の非常事態である。

 民主党政権発足後、当時の鳩山首相が地球温暖化会議で日本の環境負荷削減目標を、1990年度比25%CO2削減を宣言して、経済界などから総スカンを食らったのは記憶に新しいところだが、今回の原発事故で大胆なエネルギー削減作戦を実行する以外に、この状況を乗り切れる道は無くなった。火力発電の復活などで、必ずしも環境負荷削減に直結するとは言い難い面もある。だが、エネルギー消費の見直しにより、確実にCO2削減には向かうだろう。

 一時的に企業の生産活動が低下し、日常生活への悪影響など、多くのダメージは避けられない。しかし、考え方を変えれば、世界に先駆けて大量消費型社会から環境循環型社会への転換に推進力を得たことにもなる。結果的にマイナスからプラスに脱皮できる大きなチャンスとも言える。

  そんな状況の中、「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないが、代替えエネルギーとなる太陽光発電や風力発電などの製造メーカーでは、企業、個人からの問い合わせが殺到して、その対応に追われているとの話だ。また、計画停電の心配から非常用発電機や蓄電池等も品不足状況が続き、これまで、陽があまり当たっていなかったところに、太陽が急激に照らし始めた感じだ。国全体がエネルギー問題に揺れて、国民もようやく重い腰を上げ真剣に考えるようになってきたと言えよう。自動販売機を始め、コンビニの明るすぎる照明などは、真っ先に槍玉にあがったが、そうしたものを含めて、もう一度エネルギーの全体像を見直すことは大事なことだ。

  では具体的に、このエネルギー危機にどう立ち向かい、どう進めていくのか。一般論を言えば、一つは自然エネルギーの利用、先ほどの太陽光や風力、地熱や波動などを利用した発電技術の駆使で化石燃料を低減すること、それから、設備機器やシステムの高効率化や運用面での節電、省エネルギーを実施することなど上げられる。電気を小まめに切ったり、空調温度の設定を変更するなど日常的な省エネ努力も軽くみてはいけない。「塵も積もれば山となる」。これが最も有効性の高い省エネルギー対策かもしれない。

  その節約運動をさらに促進させる方法がある。それが「エネルギーの見える化」。リアルタイムでエネルギー使用量を目視でき、省エネ効果も直ぐに把握できる。いわゆる、エネルギーのモニタリング技術である。これが一般に普及されれば省エネの実効性はさらに高まると考えられる。特に事務所ビルや家庭などで実施できれば節電を徹底しやすい。こうした商品は世の中に出ているが、まだまだ日陰の存在である。この装置を取り付けるのには結構な費用がかかるからだ。その普及にはコストの低減はもちろんであるが、補助金や税の優遇措置なども必要であろう。そんなことも、今後の国の政策に反映されたらと思う。

  省エネルギーと環境負荷削減。いまの日本が進むべき道である。いままでは選択と集中といいながら、日本の産業は分散状態にあった。これからはそこに集中すればいい。たくさんエネルギーを使うことが豊かさの象徴とされていた時代は終わりにして、豊かさの価値を見極める時代を迎えなければならない。電気が無かった時代に逆戻りはできない。けれど、我々の祖先たちの生活からヒントを得ることはできよう。昔は自然との付き合い方がうまかった。これを現代社会にも取り入れられたら、また新しい何かが発見できるかもしれない。

  「便利さ」。それは現代人の最大のネックでもある。この省エネルギーも、便利さと我慢をどこで折り合いをつけるのか、そこに究極の課題がある。

  ただ物事に必ずメリット、デメリットがある。便利さを手放したところに、何か違う価値観も生じるかもしれない。あまり後ろ向きに考えず、楽観的に省エネルギーを進めるのがいい。不便なところにも楽しさや価値を見出せれば、それが新しい文化を創り出すことだろう。


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太陽光発電に省エネルギー、環境モデル国家をめざせ。 [環境・自然]

 今年の夏は電力のピンチである。

 東電の会見では、夏まで5000万KWまで上げる計画だが、それでも1000~1500万KW不足するそうである。当面は節電と計画停電でやり繰りする方法しかない。いくら文句を言ってもはじまらない。

 問題は今後のエネルギー対策をどうするかである。新たな発電所の建設は、設置場所をめぐり住民の反対運動で、実現困難であろう。そうなると、次世代エネルギーしかない。切り札はやはり太陽光発電になる。

 では、原発分の1500万KWを賄うためにはどのくらいの太陽光パネルが必要なのか。パネル1枚当たりの発電量を200Wで、大雑把に計算すると約750万枚必要となる。すごい数に思えるが、それほど驚く数字でもない。薄型テレビの年間生産量はそれを軽く越している。

 住宅1件あたり3KW程度発電できれば、500万件の住宅で福島原発分の発電量を賄える。住宅、工場、ビルなどすべての建物の屋根に、太陽光発電を設置すれば、もう大きな発電所はいらなくなる。

 そのために国は補助金や融資など思い切った政策を出し、推進するべきであろう。太陽光バブルになるかもしれないが、それで弾みがつき、経済成長すれば増収で好循環効果が生まれるのではないか。ただ、それを製造するために大きな電力が必要になりそうだが、当面は海外の工場などで対応すればいい。

 日本人は、お金がないと言いいながら平気で200万円くらいの新車を購入する。太陽光発電が数年で初期費用をペイでき、得するというならば、車と同じように間違いなく購入が進む。基本的に日本人は金を持っている。

 あと、太陽光発電と並んで重要なのが蓄電池である。昼間は太陽光で発電し、車の蓄電池に充電する。そして、夜間等はその電池から電気を供給するのが理想的なシステムのかたちである。また、その余剰電力を東電の電線を通じて、地域全体でバランス良く使用する。いわゆるスマートグリット構想。また、蓄電池は技術的にまだ完成されていないが、日本のお家芸である。これを期に産学民合わせて一期に開発を進めるべきだ。

 もうひとつ、省エネルギーで重要なのがエネルギーのモニタリング化。何年か前、ある建物管理会社の方から聞いた話だが、空調機や照明器具に効率の高い機器を使うのも効果的だけれど、もっとも省エネルギー度が高いのは、人がこまめに電気を消すことだと言う。それで10~15%は違うそうだ。いかに普段無駄な電力を使っていたかを実感されたそうだ。そのためには、現状のエネルギー量を把握できる「エネルギーの見える化」が重要だという。最近、東京ガス等も床暖房や給湯などの使用エネルギーをモニタリングできるエネルックリモコンなどがある。これはよい傾向だ。

 いま、インターネットで東京電力圏内の電力使用量がグラフで見ることができる。これはリアルで実にいい。インターネットだけだと、限られた人達だけしか見ない。テレビなどにも常時表示するとか、いろいろ工夫すべきだ。また、目標値を超えたら警報音が鳴るようなシステムがあってもいい。そんな節電習慣も取り入れられれば効果は大きい。

 もういままでのようなエネルギー政策を続けることは事実上不可能だ。政府は、早く新しい政策に転換しなければならない。CO2削減と安全なエネルギー、また、国民全体の省エネルギー体質の強化など、世界で先駆けて環境モデル国家の実現に向けてスタートする時である。


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人は自然を制覇できるなんて思うべからず。 [環境・自然]

 自然の力は人間の想像をはるかに超えている。

 スーパー堤防も原子力発電も、考えられる最大の津波、地震を想定して計画したはずだ。もし、地震、津波の規模がこれよりも小さければ、被害は格段に小さかったにちがいない。だが、現実は違い、何もかも想定外の出来事になってしまった。被害の大きさは桁外れである。

 では、リスクの設定を更にあげれば防災対策の強化はできるのか。しかし、それを引き上げても、今回のようにそれ以上の災害が襲ってくる可能性は否めない。また、経済性、実用性の面からも現実的でない。過去の判断基準が崩れ、どうすれば良いのか、まったく新たに考え直さなければならない状況に直面している。

 小さな自然は克服できても、大自然は手に負えない。

 東京などの都市部を見渡せば、山は切り刻み、海は埋め立て、川は地下へと閉じ込めた。自然をいじめ過ぎている。人間が封じ込めたと思っている自然も、ひとたび目覚めたら制御不能だ。それを今回の地震でまざまざ見せつけられた。自然を侮ってはならない。

 近年、環境共生という言葉がいたるところで使われている。特にマンション広告では、「緑豊かで人にやさしい自然」とか、「川のせせらぎとともに穏やかな時間を過ごす」など、耳触りのよいイメージで、この環境共生が謳われている。そこには自然の中にある危険性は全く末梢され、本来の意味が曖昧になっている。

 いま、千葉県浦安近辺や東京臨海部の地域では、この地震で液状化され、水道、下水などのインフラが寸断されてしまった。いくら最新式のマンションでも、停電で電気が使えず、トイレも水道も使えなかったら全く生活にならない。便利さに溢れた建物でも、一転して最悪の環境に転じることが実証されてしまった。

 日本は災害だらけの国である。そう考えると、日本ほど人が住みにくい国はない。しかし、四季折々の美しい自然、温暖な気候、鉱物的資源は無いが、海の幸、陸の幸など自然の恵みの多い、めずらしい国でもある。その自然の二面性と上手く付き合っていくことが、日本における環境共生と言えよう。

 日本の中で本当に安全なところは、おそらく国土の数%に満たない。そこにすべての国民が居住することはできない。その限られた狭い土地は海岸に面した平野部にある。大都市の殆どは海に近いところにある。今回のような大津波が発生すれば壊滅的打撃は免れない。防災をどう立て直すか。早急に結論を出さなくてはならない課題である。

 首都圏で大地震が起こる確率は年々高まっている。そのための準備として、まず国や行政はシミュレーションをして、被害の大きさ、そして最小限に食い止めるための避難方法など、万全を期するべきである。いままでも、そんなシミュレーションがなされていたようだが、もっと住民に徹底的に知れ渡るようにしなければいけない。不動産業界から大きなクレームがあるかもしれないが、そうした危険リスクはあらかじめ知らさなければならない。

 また、住民もいままでのように他人事で考えず、本気で防災を考えなければならない。国や行政がすべて自分たちの命を守ってくれると思ったら大間違いだ。守れるにも限度がある。最終的には自分の判断によるところが大きいことが今回の災害で教えられた。我々はもっと自然について深く学び、自然と上手く共生していかなればならない。都市の中にも怖い自然が潜んでいることを忘れてはならない。

 とにかく、今回の地震は、自然の大きさや怖さを、改めて身に浸みさせられた、実にショッキングな出来事であった。


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道路や公園をみんなの手でもっと豊かな環境にできないか。 [環境・自然]

 午前中、寒風の中、近くの公園にジョキングに行った。さすがに今日は人が少ない。天気予報では最高気温が6℃、最低0℃。風は凍るように冷たく、手袋なしではいられない。たいていの人たちは外に出るの敬遠するだろう。

 だが、周囲を見廻せば、かなり人がいる。散歩しているお年寄りやボール遊びや凧揚げにに来ている親子、自分と同じようにジョギングをしている人、そしていつもと変わらずサックスの練習をしているおじさんも健在である。こんな寒い中、よく来ているものだと感心する。みんな公園が好きなのだろうか。

 この公園は以前のブログでも紹介したがスポーツ公園である。ここには野球の球場もあり、高校の選抜戦や時折プロ野球のイースタン等観戦できる。また、大体育館は夏季にはプール、冬季はスケートも楽しむことができ、自分はすごく恵まれた環境に住んでいると思っている。

 そもそも、日本の都心、郊外には広場、公園や散歩道など少なすぎる。空間的にゆとりがないのだ。

 いまの日本は不況のことばかり騒がれて、もっと大事なことが置き去りになっている気がする。経済的に豊かさは国民にとって一番幸せなことであろうか、そのまえに国民の健康が第一にあげられるべきである。体を動かし、また自然の中でくつろぐことが健康に最も大事なことだ。そのためには、子供たちが思いっ切ってキャッチボールしたり、駆け回ったり、高齢者も気軽に散歩や運動ができるような空間が本当に必要である。

 たとえば、道路といえば交通のための通路としての役割しか頭に浮かばない。実際、日本の殆どの道路は、車道としては実に機能的に造られているが、人がくつろいだり、あるいは散歩やジョキングを配慮しての空間は考えられていない。ヨーロッパに行ったときに観た道路では、公園と同じような概念で造られ、高齢者が腰掛けられるようなベンチや花や木々も植えられ、人が集い楽しめる場になっていた。道路も決して広くはなかったが、あきらかに車優先ではない。

ミュンヘン.jpeg

ミュンヘン郊外の道路、車も多いが緑も多く、ゆったりした空間だ。 

 これからは環境の時代である。本当の豊かさやゆとりは、経済だけでない。自然の中で人間らしく生きれることが、実は人間にとっても一番贅沢な豊かさであろう。そのためには空間的なゆとり、そして人がくつろげる豊かな環境を整備していくことが重要だ。まず、近くにある公園や広場、現状あるこれらの空間を最大限使うことから始めればいい。国や自治体がやるだけでなく、自分たち自ら参加して、一緒につくり育てることが大事である。

 建築家の安藤忠雄さんが阪神震災後の神戸復興にこぶし植樹や大坂を花の都にするため桜の植樹運動を進めている。年数を重ねるうちに、こぶしや桜も大きく育ち、関西の街は春になると花で溢れると言う。

 最初は小さな運動でも、それに人々が感動し、賛同すれば、その運動の輪はさらに広がる。そして、次の世代への受け継がれ、最初に始めた第一歩からは想像できないぐらい大きな成果につながっていく。その過程で、色々な人達の想いや理想が育まれ、人により親切で、優しいものになっていくものだ。

 話は戻るが、この淵野辺公園もできてから約30年以上経つ。初期の頃は利用している人も少なく、一人でジョキングするのは心細くなるくらいであった。いまは周囲の木々も育ち、より自然らしくなり、また、大勢のひとの憩いの場として根付いている。ただ、時間が人を寄せ付けたのではない、やはり長い間、いろいろな人達によって整備され、少しずつ愛着のある姿に変わっていった。それまでには長い年月と多くの人たちの想いが蓄積されているのだ。

 公共空間である道路、公園はみんなの資産であり、宝である。それを自分たちにとっていかに良いものにつくり上げるかは、自分たちの手にかかっているといってもいい。そうした運動をみんなでやっていけば、この国はもっと豊かになるだろう。


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